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 連載 環境問題の羅針盤V 藤井 直紀

2008年 3月 第83号 

事象を捉える

 我々の周りはめまぐるしく変化する。人間社会も、白然も、それに対応する人々の行動も。それらの状況を把握し、自分自身の行動を決める。文章にしてみると簡単なようなことだが、実践は意外と難しい。環境問題への対応も同様である。

 前号では「ガソリン税の暫定税率」の話題を少し取り上げてみた。暫定税率維持が環境問題と関係があるとの議論に対して根拠がよくわからないと一蹴した。あれから少し調べてみると、どうやら国立環境研究所の報告をもとにした発言のようだ。揮発油税の暫定税率維持は環境対策につながる」というあの発言も一応「科学」的な手法から得られた予測らしい。我々はその情報をもとに政治家の発言を検証せねばならないわけだが、期限の3月末はあともう少し。ちょっと時間が足りないような・…

 さて、前回に続いて「環境問題」の判断基準について議論したいと思う。前号の話を忘れた!という方のために少しだけ復習しておこう。簡単にまとめれば、「ある事象を理解するには『科学』がこれまでに培ってきたノウハウをうまく体系化してやればよいのではないか」という提案だった。具体的には@情報を得る、A情報をいろんな角度から覗いて体系化、あるいは法則を導き出す、Bその体系化したものを検証する、C表現する、というようなことをすればよいというものだった。ただし、すべてのことを個人でしていたのではきりがないので、自分の手元に入った情報を「検証」する部分について考えてみてはどうかということだった。その検証基準をこの連載では「科学の素」ということにしたい。

 科学の素とはなんだっただろうか。その一例を再度示しておきたい。
 「定量・定性」
 「分析・総合」
 「線形・非線形」
 「確率・決定」
 「保存・非保存」
 「理論・実験」
 「フロー・ストック」

いくつか並べてみたが、これを見てなにか気づくことはないだろうか。ぼ〜っつとみてみると…ひとつの項目はふたつの単語から成っているいることにお気づきだろうか。つまり、ひとつの項目に対して自分の持っている情報がどちらの単語を表現しているのかということを考えてみることによって、検証が進んでいくということになる。ただし、おそらく後述することになるとは思うが、これが結構難しい。私は仕事で大学4年生や大学院生の指導をすることがあるが、彼らのこれらの理解に四苦八苦しているようだ。当の私も、彼らと同じ頃にはまだ理解ができていなかったことでもある。これら科学の素をひとつひとつ説明してみたいが、そんなことをしてしまうと、「これは大学の教科書か!」とつっこまれそうな気がする。そこでこれからは実際の事象を挙げながら進めていきたいと思う。

「循環する」を理解する

 「科学の素」が理解しにくいとはいえ、我々は「科学の素」のような概念をもとにした言葉を頻繁に使っている。その代表的なものが「循環型社会」の「循環」である。輪廻転生という言葉があるように、意外と「循環」という概念は日本人に身についている。残念ながら宗教が取り上げるところの輪廻、例えば「魂」の往き来については私には検証できない(もしかしたら「社会科学」の分野では輪廻転生議論があったりするかも)。循環の例でいちばんわかりやすいのは「水」かもしれない。雨が地表に降ってくる、それが地表を流れ束になると川となる、川を下ると海にたどり着き、海の水が蒸発して、大気へ…。実際には、途中で生物に使われたり、我々が産業に利用したり、移動途中で蒸発することもあるだろうから、水の循環も意外と複雑である。しかし、おおよそ理解できるだろう。

 循環というのは図1が示すように、あるところからあるところに物質が転送され、それが連続している様を示す。科学者は事象の連続を細部に区切って理解しようとする。循環の鎖の一部を拡大したのが図2である。この図は「科学の素」でいうところの「フ囗ー・ストック」に相当する。フ囗ー(FLOW)とは、あるところからあるところへ移動する量であり、図2が示すところのAやBということになる。また、ストック(STOCK)とは、ある空間に蓄積される量であり、図2のCの部分を示す。もし、Aから入ってくるモノよりBから出て行くモノのほうが小さければ、Cにモノがたまっていくことになる。そうすると図1の連続性が失われ「循環」が維持されないかもしれない。このようにモノの出入りを細部に分割して理解することが重要であることはわかっていただけるだろうか。

 もう少し、複雑に考えてみよう。自然の中というのは、図2のように一方向から入ってきて一方向から出て行くというようなことは意外と少ない。実際には図3が示すように複数から入ってきて複数から出て行くような形態が多いのだ。こうなると循環は「リング」ではなく、網の目のような「循環」を考えなければならない。頭が痛くなりそうだ。しかし、この概念って結構重要だ。別号に取り上げる温暖化問題で悪役となっている「二酸化炭素」の循環がこれにあたる。

 「フロー・ストック」。これを考える上でやっかいなことがもうひとつある。それは科学の素の一項日に含まれており、それを満たさなければ「フロー・ストック」の議論はできないというものだ。その一項目とは「保存・非保存」である。

 中学校かあるいは高校か、そんな年頃に「質量保存の法則」つて習った記憶はないだろうか。ある物質が化学反応を起こすとその物質は変化してしまうが、その構成物質の量は変わらない。例えば、水(H
2O)を電気分解すると酸素(O)と水素(H)になる。物質は一見変わったようにみえるが、もともと水は酸素と水素で構成されたものであるので、それがばらばらになっただけである。このような変化が「フロー・ストック」システムのなかに含まれていたら難しい。図2のAから水が入る。しかし、Cを通過するするうちに分解してBからは酸素と水素が出て行く。このような構造では一見するとCに水が溜まり、酸素と水素がなくなっていくように見えるが、水と酸素・水素のバランスが一定であればストックの中身は維持される。

 水で考えるとわかりやすいが、自然の中ではもっとわかりにくい形なっている。Aからは「オキアミ」という生物で入っていき、Bからは「クジラ」という形ででていく。一見A・B・Cの中身がばらばらなような気がするが、例えば生物を構成する代表的な物質である炭素というものを基準とすると、それぞれのバランスが連動しているかもしれない。

 このような例でわかるのは、どのようなモノがどのように流れているか、それを理解できる構成成分にまで分解して見ていく姿勢が必要だということだ。

「循環構造」からみた循環型社会

 物質が循環していることは、先に示したとおりだ。それがどこ方向にどれだけの量が移動しているのか、Cでどれだけ滞留しているのか、どんな反応が起きているのか、そこを見極めなければならない。それは科学者だけでなく、「循環型社会」を目標に掲げている我々ひとりひとりが理解する必要がある。それは循環型社会を示す3Rの理解にもつながる。

3Rには先がある

 ひと昔なら「3K」がさまざまな事象の指標になっていた。いやな仕事とは「きつい・きたない・きけん」だったし、理想の男性像とは「高収入、高学歴、高身長」だった。最近では、仕事場で「きつい、帰れない、休暇がない、規則がきつい、給料が安い、化粧がのらない、結婚できない」のどれかを選んで3Kと云うこともあるようだ。未だに「3K」という表現は根強い人気ではあるが、最近では3Rを聞くことの方が多くなってきた。

 ”3Rとは?″とあらためて書く必要はないような気もするが、一応復習しておこう。3Rとは、リデュース(REDUCE、削減、発生抑制)、リユース(REUSE、再使用)、リサイクル(RECYCLE、再生)のことをいう。20世紀後半の「大量生産、大量消費、大量破棄」の生活様式を反省し、環境に配慮した生活様式に転換しようという意を含んだ標語である。

 もっといえば、この3Rは単に標語という訳ではない。平成十二年に公布された「循環型社会形成推進基本法」と呼ばれる法律の条文に明記されており、日本国全体の目標となっている。この法律では、我々の生活(もちろん産業活動も含む)で出てきた廃棄物を処理するときに考慮する項目として3Rがしっかりと挙げられているのだ。

 ただし、この法律に挙げられている廃棄物対処法には続きがある。それは次のようなものだ。
 @リデュース
 Aリユース
 Bリサイクル
  (↓ここまでが3R)
 C熱回収(サーマルリサイクル)
 D適正処分

まず、モノが必要かどうか考える(@に相当)。発生源からゴミを考えようということである。次に、そのモノは何かに使えないか考えてみる(Aに相当)。他の用途に使えるかもしれないし、たとえ自分が必要しなくなったとしても他人は?と考えてみる。その次にリサイクルである。

 ここから先の対処法は、その「モノ」としての姿は失われることになる。つまり、構成成分に加工して製品として再構成する、再資源化である(Bに相当)。モノを物質として捉えるのだ。

 さて、ここまではモノやモノを構成する物質をうまく使おうという話だが、ここからはそうではない。我々は「科学技術」を使いこなしているなかで、リサイクル対処法は「万能」ではないことを知っている。はっきりと云ってしまえば、なんでもかんでも再資源化出来るわけがないのだ。或いは、リサイクル対処をするのに価値以上の投資をしなければならないこともある。もし政府が@からBまで完結すると考えているのであれば、上記のCやDのような処理方法を法律で明記することはないだろう。

 なぜ、できないのか。それは物質の循環を考えてみると、目的とする方向に物事が進まないし、なにより「ストック」部分の滞留時開かモノによって違うのだ。物事が進むには時間がかかる、その進み方は一様ではない。これをコントロールすることなんて今の科学技術では不叮能である。我々はそれを理解しなければならないだろう。

 このことは「再生紙」問題で明らかだ。目標とする「質」が得られない、つまりリサイクルで向かってほしい方向には、物質はいかないのだ。また、「My箸運動」議論も常に「フロー・ストック」概念でねじれているような気がする。


 
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