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 連載 環境問題の羅針盤T藤井 直紀

2008年 1月 第81号 


 この連載をはじめるにあたって

 
環境問題への意識

 「現在、我が国は、多くの課題に直面しています。中国やインドなどの急成長に象徴される世界経済の変化の中で、我が国の経済力をいかに保つのか、厳しい財政事情の下で社会保障制度をいかに維持するのか、少子化問題にいかに対処するのか、非正規雇用の拡大、地方経済の低迷などの問題にどう対処するのか、そしてまた、科学技術の熾烈な国際競争にどう対応していくのか、地球環境や資源・エネルギー問題などにどのような処方箋で対応するのか。」

 これは先日、福田康夫総理大臣が第169回国会で施政方針演説した内容の一部である。経済問題と同様に地球環境問題を取り上げている。これは現政権に限ったことではない。安倍政権もその前の政権もなんらかの政策を掲げていた。

 勿論、総理に言われるまでもなく、ほぼ全国民が現在の事情を危惧していることはは言うまでもないだろう。街中でも「環境」や「エコ」という言葉を耳にしない囗はないぐらいである。商品にはエコ関連やリサイクル、省エネマークがついていたりする。正月早々のテレビ番組も「地球危機」を唱っだものが多かったような気がする。

 また、2008年は我が国が議長国となってサミットが開催される。昨年以上に「環境問題」、「地球温暖化」という言葉が飛び交いそうな予感がする。

 
環境立国日本

 京都議定書からはやくも10年が経過した。この議定書は発効条件が整ったため、2005年に発効した。地球温暖化の原因とされている温室効果ガスについて、1990年を基準として国別に削減目標を設定し、2008年から2012年のうちにその目標を実現しようとするものである。2008年に北海道洞爺湖で開催されるサミットは、その後の展開を決めようというのがひとつのテーマとなっている。政府としては環境立国日本をアピールし、リーダーシップを発揮したいのだろう。日本国民もおおよそのところは理解しているのではないだろうか。
 しかしてある・:当の我々は本当に「環境問題」とはなんたるかを理解しているのだろうか。

 本当にしっているか?

「しっているだけじゃ、
 もう、すまされない。
 しっているを、
 しているへ」

(氷の壁が崩れる映像が流れながら)
 
 これは2007年にAC公共広告機構が放映したテレビCMのひと画面である。AC広告機構のホームページによると、「地球温暖化情報はあふれており、そのために何をしなければならないかを我々はよく知っている。でも実際に行動に移している人はどれくらいいるのか。知っているだけではダメ。ささやかなことでも、何か行動を!」という内容を訴えかけるCMだという趣旨が書かれている。

 確かに、前述の通り毎日のように、それもどこでも「環境」・「エコ」に関する情報が流れている。だけど、その本質ってどれだけ理解できているのだろうか。私の中にそんな疑問の出てくるのは、いくつか理由がある。

 ひとつめは、商品や活動に対して「環境によい」という言葉はよくくっついているが、その構造についてはわかるものが少ないことだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」だけでは、なにがなんだかさっぱりわからない。ほとんどの国民がその呪文を唱えているだけのような気がして仕方がない。

 ふたつめは、「地球環境」を誰もまだ理解しきっていないのに、あたかも解った振りをしているようなスローガンが多いことだ。地球を探る自然科学の個々の学問は長い歴史をもつ。しかし、「環境学」という学問は比較的新しい気がする。おそらく人間活動が活溌になって身近な自然が消えていくと同時に、いわゆる「公害」が発生し始めて危機感を覚えたときからだろう。レイチェルーカーソン氏が「沈黙の春」を出して、環境問題が重要視されるようになった時代を起点とするならば、たかだか45年ぐらいの歴史だといってよい。それに複合的な学問なので、現在は未だに各分野が持つデータの整理・調整時期と言っても間違いではないだろう。そのため「定説」が出来てもすぐに覆される。例えば、1970年代から80年代、地球寒冷化か心配されていたのに、ジェームズ・ハンセン氏の発言以降、温暖化問題に転じている。このことはまた新たな発見によっては「地球に優しい活動」ががらりと変化してしまうことを意味している。この不確定要素に対して、国民にどれだけ理解があるあろうか。

 みっつめは、環境に対する社会の受け入れ体制の未熟さである。環境学・環境問題というのは自然科学だけでなんとかなる事項ではない。政治・経済的背景がどうしてもつきまとう。例えば、再生紙問題だ。業界中の多くが、古紙配合率を偽装していたと報道されている。偽装なんてしなければならなかっだのは、おそらくそうしないと「やっていけなかった」からだろう。古紙を混ぜると市場が求める紙質にならない、紙色がどうも、ということもあるようだ。しかし、「環境対策」は求められる、その狭間に陥ってしまったようだ。このような例はまた後の機会に紹介する。

 もう少し、つっこんだ言い方をしてみよう。産業界では「日本は環境対策技術の先進国だ」と思っているし、実際にそうだろう。しかし、世界ではまだまだ環境配慮を要求している(というより自分自身で招いているともとれる)ので、よりいっそう環境対策をする、かつもっと技術革新をしようとする。急務だとはいえ、あまりに焦りすぎてどうにかなりはしないかと、危惧される。

 こんな考え方をもつのは、私一人ではないはずだ。実際、生物学や材料工学などの研究者が、現在の環境活動・政策に対して異議を唱えはじめており、関連出版物も増えている。

 このように概観してみると、前述の闊のように「しっているを、しているへ」とせかすことや、意味を知らずして手だけ動かすことにどれだけ意義があるだろうかということに疑問を持たざるを得ない。

 
環境問題への疑問を募集

 そこで今年は、世間で騒がれている「環境問題」を検証してみることにした。このコーナーの情報がすべてだ、という自信はないが、物事を考える手助けにはなるよう執筆したいと思う。ただ、こうだらだらと書いていると自分の興味がある分野にしか手を出さないことになりそうなので、テーマを募集したいと思う。当団体のホームページ掲示板でも、事務局に電話しても、直接メールでも。是非どうぞ。
 また、反論も是非どうぞ。

 
 
 
 
 
 

 
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