生態系・里山・里海

環KAN学GAKU

−環KAN学GAKU− エネルギー その3

水力発電=クリーンエネルギー?の巻 

 
 「じゃけど、太田川にはちゃんと水が流れとるし、アユも釣れるし、水不足という話も聞いたことないで。」
 少しずつ見えてきた太田川の水力発電のことを話してみたときの、前出の「ムサシ君」のケゲンそうな返事である。他の友人からも似たりよったりの返事しか返ってこない。筆者ぐらいの世代(三十代)からすると、水が少ないあの川が「太田川」なのである。発電用トンネルに大量の水を奪われていることを頭では理解できても、発電所が出来る前と後で川がどう変わったか、川筋にどんな影響を与えたかという問題になると、具体的なイメージがないのが本当のところだ。
 そんなことも手伝ってか、筆者などは、最近「ダムが川に悪い」とか「森は海の恋人」とか言ってマスコミや世間が盛り上がっているのを見ても、「じゃあみなさん、自分たちの生活にしっかり結びつけて具体的にダムや発電所の問題とか説明できるの?」、なんて言いたくなってしまう。子どもの頃学校で、水力発電は一番歴史がある発電方法で、いまふうに言えば「クリーンエネルギー」だと教わったことも影響しているんだろうか。

 しかし、川筋に長く暮らしてこられた人々は、深い悲しみや激しい怒りを感じながら、現在の太田川を見守っておられる。長尾神社宮司の佐々木 盛房さんは、太田川、滝山川、丁川が合流する加計町加計で、八十余年にわたり川とともに生きててこられた。下にご紹介するのは、佐々木さんの著書「山野慕情」の中で、「大地の大動脈」太田川の現状について綴られた一節だ。
 
 
 先日上流域のある集落でお話をうかがっていたとき、ある古老が、「いま都市と中山間地の交流ということが盛んに言われていて、広島の方も皆さん活発にご意見をおっしゃいます。ですが、広島の発展のために、人材の流出だけでなく、発電所の建設で上流・中流が犠牲になってきたことを知らずに語られる方がいらっしゃいます。それだけはやめて欲しい。広島という都市が大きくなっていくときに何があったかをよく知った上で、『交流』ということを考えようじゃありませんか。」と発言された。「犠牲」とう言葉で、筆者は頭から水をかぶせられたようになった。
 
 
 発電所が造られていく時に何があったのだろうか。いまの川筋の「静かな」感じは問題がないということではなくて、悪い意味で「落ち着いてしまった」だけなのかもしれない。とりあえず古い新聞をひっくり返してみることにした。
 
 
 昭和三十一年四月八日付
 中国新聞朝刊より
 
 提供:中国新聞社



 無知・無頓着とは恐ろしいものだ。でもそれは、実際電気を一番消費する立場の、多くの広島市民に当てはまるのことではないだろうか。「無頓着」とは、見方を変えれば大変な「傲慢」でもある。
(続く) 水本 清隆

引用文献:「山野慕情」 佐々木 盛房 平成十三年
      中国新聞 昭和三十一年四月八日付朝刊(広島版)
快く「山野無残」の転載をご了承くださった佐々木 盛房さんに、心よりお礼申し上げます。
 
 
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