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連載 モーッアルトと広島湾の魚 川上 清

第3話 シモン・ゴールドベルクと真鯛
2006年10月 第66号


ゴールドベルクの死とKさん

 北アルプス立山に近いある観光ホテルの一室で、年老いたコスモポリタン、品の良い紳士が静かに息を引き取った。
 稀代の名ヴァイオリスト、シモン・ゴールドベルクである。日本に定住を決めた5年後の1993年の夏、84歳であった。眠るがごとき大往生であったが、ホテル地下室のチャペルで3か月後のリサイタルに備え、愛妻の山根美代子さんと練習に励んだ翌朝のことであった。
 その日の夕刻、悲報の連絡を受けたKさんは、早速五反田の葬儀場に駆け付け最後のお別れをした。その後、暫くの間強い虚脱感から抜け出すことが出来なかったと当時を回顧する。
 

ナチスの迫害で両親兄弟を失う

 シモン・ゴールドベルクは1909年6月1日ポーランドのユダヤ系家族の末っ子として生を受けた。5歳でヴァイオリンを始め、ドイツの名門カール・フレッシュに学び14歳でベルリン・フィルとの独奏でデビュー、16歳でドレスデン・フィルハーモニーのコンサートマスターに、そして弱冠20歳で20世紀最高の指揮者フルトベングラー率いるベルリン・フィルのコンサートマスターに招かれた。

 世界一のコンサートマスターとして活躍中、不運にもナチス政権の台頭で、ユダヤ人という理由から理不尽な迫害を受け両親兄弟、家族全員収容所で殺害されたが、単身かろうじてイギリスに逃れることが出来た。

 イギリスでは、当時美人ピアニストの誉れ高いリリー・クラウスと出会い、彼女とのモーッアルトやベートーベンのヴァイオリンソナタの名演奏を披露した。

 その光輝く才能は、イギリス全土を起点に全世界へと広がり、レコードも発売され、世界中からの要請で、世界一周演奏旅行に出発した。(当時の世界一周は50日以上を要した)

 各地で大喝采を浴びる中、1936年には初来日、東京で数日間演奏会を行ったが、当時日本はクラシック・ファンも少なく、レベルも低かったためあまり盛況ではなかった・・・と。
 

ゴールドベルクは鯛だ!

 かつてKさんとモーッアルトの仲を取り持ったヴァイオリン・ソナタ・ハ長調K296.まるで北アルプスの雪解け水の流れる澄み切ったピチピチはねる小川のせせらぎのような清々しさと爽やかさを感じさせるゴールドベルクの演奏を聴きながら、彼の人となりに話の花を咲かせたあくる日、Kkコンビは早朝、刺し網漁に出掛けた。

 アイナメ狙いの出漁であったが、最近とみに少なくなったアイナメの姿は見られず、がっくり…。あきらめかけた網上げの終わり近く、手ごたえも確かに40センチ、1.5キロの色鮮やかな真鯛が網目に踊ったのである。こんな大物10うん年ぶりでまさにミラクル。モーッアルト効果にこれほど顕著に遭遇するとは夢にも思っていなかった。Kさんはそれを見て即座に叫んだ。

「ゴールドベルクは鯛だ!」

 この頃の主役に予定していたアイナメには真に申し訳ないが急遽、王者真鯛に取って代わってもらうことになった。
 いにしえよりめでたい海の幸として慶事の祝膳や祭祀の神前に供えられてきた真鯛は、年中近海でとれていたため、縄文、弥生の古代から釣りなどの対象魚として人々に親しまれ、頭骨などが各地の貝塚から出土している。
 

鯉に変わって王座へ…

 日本最古の歴史書「古事記」(712年)では「赤海タナゴ」と前項の「海タナゴ」の下にランクされた中国の古語そのままで呼ばれ、同時代の「日本書紀」にも「赤女魚」とあり、当時は食用としてはあまり重んじられていなかったようである。
時は奈良時代から平安時代に移り、「万葉集」の中の一首に

「醤酢(ひしほす)に蒜搗(さんつ)き合って鯛願ふ吾にな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」

とあり、鯛の刺身をにんにく酢味噌で食べたいと少しずつ鯛の需要が伸びていくさまが分かる。また、「四条流包丁書、本朝食鑑」にもその格好よさと鮮やかな色彩、日本人好みの風味を愛でる記述が見られるようになった。

 しかし室町時代の中期までは淡水魚の鯉に王座を奪われていたようで、中世を過ぎたことから日本の料理が発展整備されるに従い素材としての鯉に不足が目立つようになり、見直された真鯛が交代、主役の座に駆け上ったのである。
 

Kさんの手紙に返書

 1941年秋、ゴールドベルクは共演者リリー・クラウスと共に第2回目の世界演奏旅行に出かけたが、途中当時オランダ領であったジャワ島で日本軍に捕えられ、厳しい収容所生活を余儀なくされ、苦難に耐え忍ぶ日々を送っていた時、クリスマスに司令官今村均大将から音楽会開催の許可を受け、ベートーベンのヴァイオリン・コンチェルトを演奏することとなった。楽譜もそれを書く紙もなく、トイレットペーパーに記憶していた音符を書き、指揮とヴァイオリン独奏を自ら成功させ、多くのオランダ軍虜囚の涙と感動を誘った。

 その3年後日本は敗戦、収容所から解放されたゴールドベルク一行はオーストラリアから待望のアメリカに渡り、アスペン音楽祭の総監督、ヨーロッパに帰ってのオランダ室内オーケストラのヴァイオリンを弾きながらのコンダクターを夫々15年以上も務めた。

 その活躍ぶりは3年間の収容所生活のブランクを全く感じさせないものであった。

 戦後3年、Kさんは奇しくも出会ったK296を何度も聴くうちに、その気持ちの良い演奏にすっかり魅せられ、当然のことながら演奏者を調べてみるとその人が、シモン・ゴールドベルクとリリー・クラウスであることを知った。

 そして2人の演奏によるK296の他、K377、379、380、481の6曲の他、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタ数曲のSPレコードがあることが分かり、戦災のなかった京都の中古レコード店を走り回って幸運にも入手することが出来た。

 以後、学業も仕事も手につかない熱中ぶりで、ある日Kさんは思い切ってゴールドベルクに直接手紙を書いた。

「原爆で亡くなった兄が遺してくれたレコードですっかりファンになりました。捕虜収容所のことは日本人の一人として非常に遺憾に思います。ぜひ近況をお知らせください。」

 それから5年ぐらい過ぎたある日、思いもしなかった返事が届いた。それもサイン入りの写真と一緒にである。

 すっかり舞い上がってしまったが、以来文通や電話でのプライベートな親交が始まり、1966年戦後初来日の日本各地での演奏会に全て招待されるほど、親交は深くなっていった。

 それは夢のような嘘のような本当の話で、ゴールドベルクの音楽に対する真摯な取り組み方といい我々のようなものにも親しく温かく気を配ってくれる謙虚な態度、デリケートでウィットに富んだ人柄といいセンスのよい燻し銀のような演奏の源はやはり人間性のものにあると実感させられた。
 

鯛との共通点

 真鯛は通常4歳の麦秋の頃、藻場や岩礁帯に集まり、日没から夜半にかけて一団となって戯れ、激しく体を横にして泳ぎながら放卵放精する。球形の卵は海表を浮遊しながら孵化、25日くらいで24mm、30mmで大体親と同じ体形に育ち、年末には10cmに生長する。寿命はだいたい50年、大きさは1.2mで12kgになる。

 この恐るべき生命力は、日本各地で神として崇められ、愛知県南知多の「タイ祭」をはじめ、漁村では豊漁、農村では豊作、関西商人の間では商売繁盛を招来するとして祭事が行われている。

 また、日蓮上人生誕の時、湾内に蓮の花が咲き、大鯛が波間に踊って祝ったとか、神宮皇后の浮き鯛の故事、恵比寿、大黒にまつわる寓話などが多く残されており、ゴールドベルクの音楽や人となりとどこかに通うものがあるように思えてならない。

 ゴールドベルクと山根美代子さんとの結婚は、長年連れ添ったマリア夫人が亡くなり、桐朋音楽大学で教鞭をとっていた頃、同大学のピアノ教授で同時通訳をしていた彼女との共演でモーッアルトとブラームスのヴァイオリンソナタを演奏した頃で、いまだかくしゃくとしていた79歳の秋であった。

 ゴールドベルク最後の演奏会は1993年4月の水戸室内オーケストラとの共演でNHKテレビ芸術劇場でも放送された「バッハ組曲2番、モーッアルト交響曲40番、ハイドン交響曲82番」であった。

 その3か月後に他界されるなど思いもしなかったKさんは「今思えば何か神々しいような姿が思い浮かび、この名人のSPやCDでどれだけ心が癒されてきたか計り知れないものがある」と回顧する。
 

いぶし銀の魅力

 世界は広い。ゴールドベルクは世界の音楽の心と思っているが必ずしもワールドワイドに聴く人を魅了、感動を与えてきたものではないとKさんは言う。彼の演奏はバリバリ弾いて大向うをうならすようなものでなく、先に述べたとおり室内楽的で燻し銀のような名演奏で一部の通にはたまらなく感動を与えるのだが…と口を濁す。はてさてとんと分からないのが素人から見た音楽の世界で、わが真鯛にも同じような悩みがつきまとう。

 真鯛の正式名は「スズキ目、タイ科、マダイ亜科」の真鯛で、全世界の温帯から熱帯水域、日本ではほぼ全域に広く分布している。中国では「銅盆魚」と呼び死人の肉を喰らうと蔑視。イギリスでは「シー・ブリーム」ユダヤ人の食べる下魚と鼻にもかけない。フランスの「ドウラーゼ」はエスカルゴをはじめ何でも貪り食う下種とさんざん。

 しかし日本では真鯛は特有の魚食文化を支えている心のふるさと、日本人の感性と微妙な舌先でしか味わうことのできないDNAを伝え持っているといってよい。

 今宵はあえてうす造りのカルパッチョを肴に高級ワインを酌み交わし、思い出深いゴールドベルク演奏の名曲に聴き惚れて至福のひと時を過ごすことにしようとKkコンビの顔は輝きに満ちていた。
(シモン・ゴールドベルク指導 木本敏雅)
 
 
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