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連載 モーッアルトと広島湾の魚 川上 清

第2話 胎教と海タナゴ
2006年 9月 第65号


5歳で作曲

 最初にモーッアルト出生から来歴について簡単に述べ、最近のブームにのったモーッアルト入門への一助にしてもらいたいと思う。

 1756年1月27日、オーストリアはザルツブルグのモーッアルト家に呱々の声をあげた男の子があった。「ウォルフガング・アマデウス・モーッアルト」の誕生である。父親の「レオポルト」はザルツブルグの宮廷音楽士で著名なヴァイオリニスト。作曲も手がけ、後に楽士長も勤めた。母「マリア・アンナ」と5歳年上の姉「ナンネル」は共にクラヴィーア(ベートーベン時代に改良されてピアノになる)を演奏する音楽家で、この熱心な音楽一家に生まれたモーッアルトはしっかりとバロックの名曲による胎教を受けた大天才児として世に現れた。

 3歳になったる日、父はいつものように姉にクラヴィーアの特訓をしていたが、そばで遊んでいたモーッアルトは、驚いたことに姉の練習が終わるとクラヴィーアに近づき、姉が弾いていた曲をいとも簡単にしかも3度の和音までつけて弾ききったという。

 この憎々しいぐらいの可愛い坊やは、この時すでに「白檀は双葉より芳し」の数段上を行く生涯900曲を越す名曲を世に出した大作曲家の芽を萌えたたせ始めていたのである。初めて聴いた息子の非凡な才能に仰天した父は、早速姉と共に特訓を始めることになったが、その上達ぶりは想像に絶するもので、5歳になると最初の作品「K1」を作曲するまでに成長した。
 

早熟な卵胎生魚

 ここまで読んでこられた方の中には、モーッアルトと海タナゴの間にどのような繋がりがあるのか、と首をかしげる向きもあると思うので、海タナゴについて少しずつ説明してきたいと思う。

 海タナゴは魚族には希少な卵胎生魚(卵を体内で孵化させる)ですこぶる生長が早く短命で、どことなくモーッアルトの生涯や音楽を連想させるところがある。体長5,6cmで親の形そのままで産まれてきた海タナゴは、直ちに親魚と同様に群れを作って藻場や浅い岩礁帯の間を遊泳する。産まれて3ヶ月目のその年の秋には雄は成熟し雌を追うようになり、雌は約半年で成熟し交尾懐妊する。
 

旅から旅への音楽生活

 モーッアルト7歳の時、知能は既に大人並みで宮廷では恋の話に明け暮れ写真の礼服を女帝からゲットしたという逸話を作り、10歳の時には愛や恋をテーマにしたオペラの作曲をこなし、恋に音楽にと史上無比の早熟ぶりを発揮して近隣諸国に神童ぶりを広く知らしめるまでになった。

 父や姉と共にミュンヘン〜ウィーンと演奏の旅に馬車で出かけたのは6歳の時であった。ミュンヘンでは選帝侯ヨーゼフ3世、ウィーンではシェンブルン宮殿で女帝マリア・テレジアの御前演奏などのほか、数曲のクラヴィーア曲を作った。中でも特筆すべきは姉との4手のためのクラヴィーア曲で、2人の演奏は大成功をおさめ一層名声を上げる元を作った。

 以後、モーッアルトの作曲活動と演奏旅行(欧州全土への数え切れぬ回数)は本格的に始まったのであるが、当時の旅は馬車で悪路を時間をかけての強行軍で、その過酷さは彼の成長に大きな影響を与え、小男という肉体的ハンディを負ったまま短い生涯を閉じる原因の一つとなった。

 旅行中多くの音楽家との交流を重ねていったが、彼の素晴らしい才能は全ての楽器の特徴を見事に掴み、その演奏者から依頼されると、弦楽器から管楽器のソナタ、コンチェルト、室内楽、交響楽、宗教曲、歌曲、コンサートアリア、オペラなどあらゆる分野の作曲を数多く成し遂げたことにあり、まさに当時代ただ一人の大天才であるといっても過言ではない。

 また、驚くべき彼の創作能力は、泉のように湧き出る美しいメロディーを超スピードで楽譜にしているにもかかわらず、間違いも訂正もない完璧な出来栄えで、どんな偉大な作曲家にも真似ることのできない凄さにあった。
 

アメリカ西海岸から日本近海へ

 このあたりで又、海タナゴの世界をのぞき、彼らの来歴を少し述べる。約2000万年前の第3紀中新世のアメリカ、カリフォルニア州の地層から海タナゴの先祖の化石がかなり出土しており、発祥の地はその辺りではないかと推測されている。カリフォルニアからどのようにして太平洋の反対側からはるばる日本近海までやってきたのだろうか…。

 地質時代第4紀の温暖な間氷期にアラスカからアリューシャン、千島を通って日本までたどり着き、次の寒冷期の訪れで日本産海タナゴに孤立分化したとの仮説がたてられている。

 現在の分布は、北海道中部以南の日本沿岸各地、朝鮮半島西南部、中国山東半島突端部と東シナ海の一部で意外にも北太平洋特産種という貴重な存在である。

 先祖が厳しい長旅の末、安住の海として日本とその周辺沿岸帯を選んだ苦労が察せられ、生涯を旅から旅へと馬車での暮らしと、人には言えぬ病苦に苛まれたモーッアルトの一生がいみじくも重ね合わされてくる。
 

胎教の音楽

 今年はモーッアルト生誕250年に当たり世界中がモーッアルトブームに沸いている。
 大学時代から一筋にモーッアルト狂を任じてきたKさんも感激ひとしおで、50数年間の蘊蓄を初弟子kさんに、ことあるごとに披露、丁寧に曲のすばらしさや効果を解説し喜びをストレートにぶつけてくれている。

 最近モーッアルトの音楽が物理的、化学的に分析されメロディーの良さ、美しさがいろいろな面で現代の荒んだ世相に役立ち、脳や身体の不思議な影響を与え、その効果も顕著であると喧伝されて、検証もされている。

 先日も、新聞紙上に「脳を活性化させる癒しのモーッアルト」という見出しのCDの広告が載っているのを目にした。モーッアルト全曲の中から約1/10、91曲が選ばれている。

 Kさんは夫々が適切で好ましい選曲だからと購入をすすめてくれ、その中の「胎教によい曲」9曲から年代順に3曲選んでくれた。

@フルートとハープのためのハ長調K299、第2楽章(22歳、旅先のパリでフルート奏者の依頼により作曲)

Aピアノ協奏曲21番ハ長調K467、第2楽章(29歳ウィーンにて)

Bアイネクライネ ナハトムジーク ト長調K525、第2楽章(31歳、ウィーンにて、有名なセレナーデ)

 具体的に胎教の曲目が出たところでもうひとつのテーマ卵胎生海タナゴの生態について述べる。初秋から初冬にかけて海タナゴにとっては絶頂期で、この頃に交尾が終わり精子は1月までによく発達した輪卵管の壁にへばりついた卵と結合、受精が完了する。

 1月の初め孵化した仔魚はまず卵黄を栄養にして生長するが、卵黄が無くなる母体から消化管と皮膚を通して栄養を吸収、すっかり大きくなった仔魚は羊膜に似た袋に包まれ、5,6月には5,6cmくらいになり産まれてくる。その数は20尾から40尾といわれているが、まれに70尾という記録もあるようで、大自然の絶妙な摂理とでもいおうか、少なく産んで大きく健全に育てる典型的な卵胎生方式である。それらは少ない出産仔を補うため早熟して出産回数を増やし、種族の維持と繁栄を図っているわけで神秘としか言いようがない。何とか胎教と海タナゴのつながりを垣間見るところまできたので、もうひと押しして総括としたい。

 古典のバロック、クラシックから現代にいたるまで曲の構成は急、緩、急で出来ており、総じて第1と第3楽章はテンポの速い生き生きした闊達な曲が多い。CD91曲の中から胎教の曲として選ばれた9曲のうち7曲は緩に当たる第2楽章で、紹介した3曲はKさんによると神々しいまでの美しさを湛えている古今の名曲としか言いようがないとのことである。素人のkさんが聴いても、フルートにハープが絶妙に絡んでくるメロディK299、天真爛漫で天女の舞を連想させるK467。覚えやすいメロディの繰り返しで「スーッ」と中に入っていける親しみやすいK525。そのほかどれをとってもさすがに胎教の曲と新しいモーッアルト信者を魅了するものばかりである。

 殊に新しい生命を育んでいる妊婦にゆっくりと聴き入ってもらいたいと願うことしきりである。
 

タナゴに胎教の音楽を

 江戸時代の書「食物和歌本草」の中に「タナゴこそ懐妊の薬、朝夕に食いてその子難もなし」とあり、各地で子供をたくさん産むとして珍重されている。少し柔らかい白身で老人から幼児、病人までオールマイティであるが、特に妊産婦の方に胎教の曲と共に食してもらえれば相乗効果で最高のものになるのではないかと思う。

 この日、海タナゴ獲りの刺し網にかかったピチピチの海タナゴを見ながらKさんは言う。我々モーッアルトファンにとって一番残念なことは35歳の若さで亡くなったことである。当時作曲に使っていたクラヴィーアは彼の死後急速に改良され、現代のピアノに変身した。また、オーケストラの編成も30〜40人から100人を超える大編成となった。もしもモーッアルトが長生きしていたら、どのような凄い作品が生まれていたであろうか…と。

最後にこれら愛すべき海タナゴたちに胎教の曲をじっくり聴かせ、健やかな仔魚の安産を願ってやりたい。また、生まれて間もない稚魚たちにシモン・ゴールデベルグの奏でる「ピアノとヴァイオリンのソナタ33番ヘ長調K377、第2楽章を聴かせ、失われた「稚魚の揺り篭」アマ藻場に変わり安らぎと元気を与えてやり、せめてもの罪滅ぼしとしたい。

※モーッアルト指導は木本敏雅さん
 
 
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