連載 桑原一司さんの自然みて歩き1
 桑原一司

 2007年 6月 第74号
カエルツボカビ症の話 


 今回から桑原さんに再びご登場いただくこととなりました。本誌ではすでに4年前の第22号から第33号までの間、動物シリーズをお願いして参りました。
 桑原さんは安佐動物公園の初期の時代からずっと勤続されていて、かつてはトラの飼育係をされた時期もあり、そして現在は管理課長として仕事されています。動物と人との関わり、我々が気付いていない重要な問題、などをわかり易く教えていただけるものと期待しています。
 初回は先日の第7回総会で特別講演していただいたカエルツボカビ症のことをここでまとめてくださっております。
 


 やはり、この話はここからしか始まらない。
 IUCN国際自然保護連合の最新の世界両生類調査により、マイナーな存在だった両生類の現状が明らかになってきた。調査の結果、世界に両生類は5743種いる。そのうちの43%において個体数の減少が見られる。少なくとも120種以上が、1980年以後に絶滅したと思われる。32%に当たる1856種が絶滅危惧種で、その他に、現状が分かっていない不詳種が1294種いる。絶滅危惧種が32%という数字は驚きだ。同じ数字は、鳥類において12%、哺乳類において24%であり、両生類が格段に危険な状態にあることが分かる。「今日の鳥は、明日の人」、これは鳥類が絶滅に向かう現状を訴えた有名なフレーズであるが、「両生類壊滅の危機」はもっと深刻である。

 なぜ、世界中で両生類が減少しているのかな。IUCNの調べでは、一番が生息地の破壊、次いで化学的な汚染、理由が分からない減少、野火、外来捕食者の侵入と続いている。その次に注目すべき原因がある。伝染病である。ツボカビ症という病気が、いろいろな原因で弱った両生類たちを絶滅へと駆り立てている。

 ツボカビ症、あるいはカエルツボカビ症は、バトラコチトリウム・デンドロバーテスという病原菌が両生類の皮膚を侵す病気である。ツボカビという名前にあるように、皮膚に壺型をした病巣(遊走子嚢)をつくり、病巣が開いて遊走子が水中に泳ぎ出ることによって感染が広がる。カエルだけでなくサンショウウオの仲間も感染することが分かっている。

 ツボカビ症にかかったカエルは、呼吸が苦しくなって口を開けたり、脱皮殻が体表に残ったり、腹面から後ろ足にかけての皮膚が赤くなったりするが、その症状はいろいろで、外見からツボカビ症と判断することはできない。ツボカビ症の特徴は、高い死亡率と強い感染力である。一般的にツボカビによる死亡率は80%以上といわれる。感染は病気のカエルと接触することによって移るだけでなく、ツボカビ菌のいる水や泥が、使った用具、長靴、車のタイヤなどについて拡がっていくからやっかいだ。飼育しているものについては治療法があるが、野外に出たツボカビ症は止める手立てがない。ツボカビ症は、もともとはアフリカツメガエルの風土病のような病気であったが、ツメガエルが世界中に輸出され、ツボカビ症を広げてしまった。最初に大きな被害を出したのはオーストラリアで、9種が絶滅、15種が近未来に絶滅という。日本でそれだけのカエルが絶滅することを想像すると実に恐ろしい。

 2006年8月にドイツのハレ市で開催されたCBSG野生生物保全繁殖専門家集団総会でケビン博士より発表されたパナマの現状は、衝撃的なものであった。ヤドクガエルやアカメアマガエルなど日本でもおなじみのカエルが195種も棲むカエルの楽園パナマに、ツボカビが侵入してきたのは1995年のことだ。西隣のニカラグアから侵入し、東へと毎年28kmの速度で津波のように感染を拡げ、エル・コペという研究拠点にも2004年9月にツボカビがやってきた。渓流のほとりのカエルが急に死に始め、2か月後には全滅する種も出始めた。1年とたたないうちに、この地域にすむカエルの70%にあたる48種がツボカビ症に感染し、80%以上に及ぶ個体減少を招いて壊滅状態になった。この地域には狭い範囲にのみ生息する固有種が多く、ツボカビ症の蔓延は、即、種の絶滅を引き起こす。ツボカビ症の拡散を止める手段はなく、ケビン博士らは、エル・コペの惨状になすすべがなかったという。

 エル・コペから50km離れたエル・バレーというところに、もう一つの研究施設がある。1年後には、確実にエル・バレーにツボカビが押し寄せる。そこで、博士らはこの地域のカエルを絶滅から救うために、国外に運び出し、そこで繁殖させてツボカビの危機が去るまで待つことにした。受け入れ先は。アメリカのアトランタ動物園。時間に追われる中で35種のカエルが選ばれ、ツボカビ症にかかっていないことを確かめた後にアメリカに運び出された。名付けて「パナマ・パイロット・プロジェクト」。時間が無い、資金もない、スタッフも足りない中での救出作戦で、すさまじい激闘であった。こうして避難したカエルたちは、アトランタ動物園の保護施設で生き残り、12種は繁殖に成功した。一方、現地のエル・バレーは、予測通り1年後にツボカビの津波に飲み込まれ。カエルの死滅が続いている。この地からツボカビが去り、アトランタに保護されたカエルが里帰りできるのはいつのことであろうか。「パナマ・パイロット・プロジェクト」が成功するかどうかは誰にも分からない。しかし、これ以外に方法はなかった。

 ケビン博士は私に「日本にツボカビが侵入するのは時間の問題です。もしかしたら、もう入っているかもしれない」と言った。日本にツボカビが侵入したら、日本のカエルやオオサンショウウオはどうなるのであろうか。事の重大性に、私は身震いした。帰国したら、私のするべき仕事はもう決まっている。このことを日本の皆に知らせるのだ。

 帰国後、必死に勉強してツボカビ症の概要をまとめた。まず、専門家に知らせなくてはならない。この秋に開催される両生類に関する四つの学会や研究会に発表を申し込んだ。私の発表は唐突に感じられたかもしれない。それほど日本にはツボカビ症の認識がなかった。しかし、ツボカビ症の重大性に気が付き準備をしている学者もいた。「爬虫類と両生類の臨床と病理の研究会」もその一つだ。11月に、ここでの発表を終え、この学会こそが、日本のツボカビ症に責任を負っていると思った。日本動物園水族館協会は、福本幸夫安佐動物公園長を中心に、感染症対策委員会と種保存委員会が態勢をとった。

 ツボカビ症に備えて対策を進めていた矢先の2006年12月25日、ついに日本におけるツボカビ症発見の報が届いた。発見者は「臨床と病理の研究会」の宇根由美先生だった。ケビン博士の予言が的中した。専門家の間では蜂の巣をつついたような事態になった。正月返上で対策を練り、対応マニュアルを作り、1月13日には、16の団体が共同署名をして「カエルツボカビ症緊急事態宣言」を発して国民に注意を呼びかけた。1月20日には関係者が東京に集まり「緊急対策ワークショップ」を開き、日動水も1月21日に関係者が上野動物園に集まり緊急会議を開いた。その後も日本のいくつかの地でツボカビの発見が続いている。ツボカビ症は、日本の中にどの程度侵入しているのであろうか。間もなく全国調査が始まる。

 非常事態ではあるが、最も重要なことは冷静に対処することである。私たちは、国民に次のことを呼びかけている。@ツボカビ症は両生類の病気で、人やそのほかのペットなどには感染しない。Aツボカビの侵入はおもに、外国産のペットのカエルを介して入ってくるので、購入の時は気を付ける。B飼育していたカエルがばたばたと死ぬようなら、専門の期間でツボカビの検査を受けた方が良い。広島県では、安佐動物公園に、先ず電話で相談してほしい。C飼育中のカエルが死んだ時には、埋めたりしないで焼却するか、紙に包んで生ごみとして出す。詳しくは日動水ホームページを見てほしい。

 私たちの生活には関係がないように見えるカエルであるが、生態系の食物連鎖の中間に位置するカエルの絶滅は、カエルを食べて生きていた鳥や爬虫類の減少に通じており、また、カエルが食べることにより防がれていた害虫や病原菌の発生に繋がっている。カエルの絶滅は、人間の暮らしにもかかわっているのである。キャッチフレーズは、「一人ひとりが、カエルを守ろう!自然を守ろう!」。皆でカエルツボカビ症のことを知り、ツボカビ症を野山に拡げないようにしよう!

※6月11日、宇根由美先生により、日本でも野生のウシガエルにツボカビ症の感染が確認されたことが報道されました。(編集部)
 

 
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