連載 箱庭の海 〜かわうえ・きよしの海からのメッセージ〜

第12回 最終回
2005年12月 第56号

◇台湾ガザミ参上

 わが箱庭の海にも10年位前から、何で!と思わされるような異変が現れ始めた。平均海水温が1℃〜1.5℃上昇したことが第1の原因と思われるが、最近の黒潮の蛇行接近、地球温暖化など他動的なものによるとの説もある。併しこの閉鎖的海域に長期間堆積してきたヘドロ、生態のサイクルを狂わせたうち続く埋立、太田川から流入する血液のような河川水の質の低下と絶対量の不足、これらの人為的な原因が異変をもたらす主犯であると明言しておきたい。

 先ず最初に現れたのは台湾ガザミ。歌舞伎のくまどりのようなド派手な甲羅を持った奴で、在来種のワタリガニとの日台戦争では台湾の勝利が目前にまで迫った状態にある。その他、背びれに毒針を持ったアイゴ、釣り魚で名高いグレ(メジナ)、あさりの天敵ナルトトビエイ、体長80センチ近くになるオニアジ、その不味さ天下一のサンマ、などなど・・・また、以前は想像もしなかった貝毒のアレキサンドリュウム タマレンセ、二枚貝の天敵ヘテロカプサ サーキュラリスカーマなど悪玉プランクトンの出現で、それでなくても斜陽の地場産業と噂される牡蠣養殖に更に痛手を与えている。これらの直接に害を受ける新顔の出現の他に、牡蠣や他の二枚貝に付着して身を赤く変色させるカイヤドリヒドラクラゲ、北朝鮮から密入国して同緯度の宮城県あたりで猛威をふるっているあさりの天敵サキグロタマツメタ。何時、どのような環境のもとで、どのような奴が突然姿を見せ、どのような害を与えるか先のことが全く読めないのが箱庭の海の現状なのである。
 
 
(上)オニアジ

(下)アイゴ

(左)ワタリガニ

◇居なくなった魚介


 かつて干潟が広がり牡蠣ヒビが全盛だった頃には、ヒビとヒビとの間に仕掛けたウナギ筒に、40〜50センチのウナギが商売になるくらい入っていた。中でも背中が薄茶色で腹の黄色い奴は、脂ののりと言い味や香りと言いウナギの中のウナギだったが、埋立で住処を追われて今は幻の魚となった。高級巻貝のヨナキもいつの間にか姿を消している。干潟の渚や昭和50年代の似島周辺などによく見られ、その場で殻を割り海水で洗って口の放りこむと、えも言えぬ甘みが広がって幸せな気持ちにさえさせられたものである。

 また、食用にはしなかったがカウトガニも干潟を失ってからはその気配がない。今では江田島湾で多少見られるくらいだろう。他に、何年かするといなくなるだろうと思われるものに、寿司ねたのシャコとアナゴがいる。15年くらい前までは三枚建刺網に百尾余りがかかっていたシャコだが、年を追うごとに数が減り、最近では時々1〜2尾かかるくらいにまで落ち込んでいる。アナゴは特にひどい。宮島方面は多少の漁獲もあるというが、広島市域の海では殆ど捕れていない。昔からのハエナワ業者もアナゴカゴの業者も開店休業を余儀なくされている。このような泣き言を並べれば枚挙にいとまがないので、神頼みでも箱庭の海の蘇る日の来ることを願いこの事実を更にキャンペーンしてゆきたい。
 
◇浅蜊エレジー

 古きより庶民に馴染み深いアサリは、大自然の干潟が何処かに残っていた昭和40年代までは一部漁業権設定区域を除いては誰でも自由に堀に行くことが出来、干潮時にはどの浜も賑わったものである。

 干潟は、何百年もかけて貝殻の砕けて出来たカルシューム分やその他様々な栄養素を蓄積、天然アサリの住処としては理想的な環境に恵まれていた。多数の人が毎年いくら掘っても次の年には湧いてくる底知れぬ生命力を持っており、つつましい女性や子供でも二升や三升はちょろ間に掘れ、結構家計の援けにもなっていた。時には思いもせぬ幸運に遭遇することもあった。夢中で掘っていてクルマエビやギザミがひょっこり飛び出し、凄い獲物に歓声を上げたものである。その夜の食卓にはスペシャルメニューがデーンと置かれ、鼻高々だったことも夢まぼろしの物語になってしまった。

 当時のアサリは殻の模様や色がやや薄く、大粒で、はじけるくらい身が一杯詰まっており、その美味しさは絶品であった。バラ寿司、ワケギとぬた、酒蒸し、貝汁・・・等々アサリ独尊だったのである。現在、全国的にアサリの不漁が伝えられている。その原因についてははっきりした究明はなされていないようだが、常識的に見ても高度成長による海の環境悪化が年を追って進行してきたことが素因であると思う。更にナルトトビエイやチヌ、アイゴなどによる食害、この海域にもいずれ移って来るのではと危惧されているサキグロタマツメタなどの巻貝類や、未知のサイレントエイリアンによる直接被害も考慮しなければならない。まさに四面楚歌の時空の訪れである。
 

◇それ「地物」ですか!


 我が箱庭の海八幡川や太田川放水路河口、僅かではあるが似島など島嶼部の砂浜に細々と生き残っている地物と言われるアサリ君にしても、故郷はおおかた有明や大分で、稚貝の時に連れて来られ撒かれたものである。それだけではない、或いは中国や韓国、北朝鮮辺りのものも混じっているかもしれない。最近、マネーロンダリングと言う言葉を時々耳にする。本当の意味はさておいてアサリ版としても使われているのが腹立たしい。何処かの国から輸入して物を2〜3週間蓄養して地物と混ぜ、産地表示して出荷するのである。中途半端な砂抜きで、噛めば「じゃり・・・」、身入りが悪く旨味が全くない。何事にも経済効果経済効果でお金だけが錦の御旗となった日本の縮図を見るようで、海からのメッセージにも力が入らないことおびただしい。復活を期待するには神頼みしかないのであろうか・・
 


 もう終章となったが、実は本当に書いておくべきことがあった。
 広島湾北部海域から50年も前に絶滅した漁法
 ボラの飼い付け。
 ワタリガニのコウモリ傘釣り。
 チヌの漕ぎ釣り。
 サヨリの流し釣り。

 などについて正確に記録されている文献は残っていない。
 それらを実際に体験してきた筆者はその細かな技法など記憶を掘り起こし、
 先達から受け継いだ釣り文化の深さ、面白さを伝えるべきだったと思う。
 これらはぜひ又の機会の来ることを願っている。
 
川上 清 
 
 
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