連載 箱庭の海 〜かわうえ・きよしの海からのメッセージ〜

第8回 旅に出ます
2005年8月 52号


 17年前の6月12日に成田を出発、第1回目のTHE TRAVELER’S ALONE IN AMERICAの一歩を踏み出した。
 ニューヨークから各地を巡り、7月28日ロサンゼルスからシアトルタコマ空港へ・・・

 予約していたホテルにチェックインした。明日訪れるのはBLOU’S Oyster farmで、ここシアトルから80マイルあるがバスで行けるのは途中のマウントバーノンまでである。そこでとにかくバスの発車時間を確かめるためにシアトルのバスディボまでタクシーを走らせることに。その後でダウンタウンまで歩き有名なハイクフレイス、マーケットなどを見る。

 翌朝、9時発のバスに乗り60マイル先のマウントバーノンまで1時間半で到着した。そこからはオーナーのポールブラウさんが迎えに来てくれたBLOU’Sの車でオイスターファームのあるサミッシアイランドまで20マイル。そこはポテトやコーンの自分の農場や牧場。ラズベリーやブルーベリーの広大な畑である。

 サミッシアイランドは島と名が付いていても20mくらいの橋でつながった平坦な岬で、ワシントン州の北西隅にあるサミッシリバーの清流が注ぎ込み、オイスターカルチャーには絶好の場所である。200エーカーは優にあるファームは丁度干潮の時刻で地蒔きのオイスターが眼前に広く姿を見せ、その向こうにバンクウバーアイランドが遥かにかすんで浮いていた。


 オイスターのむき身作業場は思ったより小規模だが、「BLOU’S Oyster farm」と大きな模型の蛎殻に書いた看板がウィンドの中に鎮座していて、洒落た面もあるオーナーの日常が窺えるようであった。

 2時頃からファームを見に行ったが、誰も日本語を喋れる人がいないので、BLOUさんがかなり気を遣って、分かりやすいような英語で説明してくれた。言葉の細部に亙っては理解しにくい所はあったが、国は違っても同業で、養殖方法についてのことは殆ど聴き取ることが出来た。遠浅の広いファームは地元に近い所から採苗しだての1年未満のもの、二年物、三年物と大きくなるにつれて沖合に移され、干潮時に僅かに潮の残っている最終養殖場が生産段階の物を蒔いておく場所である。どうしても三年以上かけないと出荷できないのんびりした地蒔式なので、大自然がそのまま残っているアメリカならではの養殖法である。

 サミッシアイランドには牡蠣屋は2人しかいないそうだが、ワシントン州では200軒もあり全米の5割以上の生産を上げているとのことであった。以前は日本の三陸より種苗を輸入して育てていたが、人工採苗技術の進歩とともに自前で充分間に合うようになり、現在では全然輸入しておらず、輸入していた時の木箱の残骸が空き地にうずたかく積まれていた。

 干潟の終わりからの海水は想像していた以上に綺麗で、あま藻のクラスターが沖に向かって広がり、名も知らぬ数種の小魚が群れをなして泳ぎ回っているのが印象的であった。潮が満ちて来ても水と感じさせない透明さの海水に脛まで浸かって4〜5人のボーイが大きなバケットにオイスターを投げ入れている様子は一幅の絵のようである。バケットがいっぱいになると小さなクレーンでスコーと呼ぶ平底の四角型の船に積み、満潮になって作業場下の桟橋まで曳航して陸揚げする。むき身作業場は広島と違って3〜4人のボーイがナイフを使って行う。スコー1杯で2〜3日分あるそうで、あまりこせこせしていないのが又アメリカらしくてよい。

 むき身は別室でキュートな娘の手で選別洗浄されて2ポンド入りのプラスティック容器に詰められ、シアトルやサンフランシスコなどに出荷され18ドルくらいで販売される。四年物というだけあって広島のよりずっと大きく、その上卵持ちときているので、その黄土色の色合いといい、むしろ食欲をなくするような気持ち悪さを感じさせる代物であった。しかし実際にサンフランシスコの寿司屋で食べたシアトル湾産牡蠣は卵がとろっとして予想外に美味で、何の抵抗もなく胃袋に収まった記憶がある。見かけだけで判断してはいけない典型ではないかと思う。

 ファームで養殖しているのは三陸系の真牡蠣だけではない。オリンピア種という種類を特別に養殖していて、それをバーベキュー用に遠方からわざわざ買いに来る客がいる。これは希少価値も含めて人気上々とのことであった。それは真牡蠣に比べ丸っこく稍小振りであるが、剥きだちを生で食べると口中にほんのりと甘みが広がり、思わず二個目に手が伸びるくらい旨い。焼いてみると日本のイタボ牡蠣のようで香りも高い。

 2時頃モーターボートで沖に出た。4〜50分も走るとバンクーバー島の南端から太平洋に続く海峡が遠望出来、まるく霞んだ水平線の彼方に遥か幻の日本が浮いてくるような、淡いノスタルジアを感じさせるクルージングであった。一時間半くらいボートを走らせた後、あま藻場の中に仕掛けたカニかごを揚げに寄った。大きなクラゲが4〜5尾入っていたが、甲の長さ10センチ以下のものはすべて海に返す決まり通り、1尾ずつ計測して大物だけ収穫していった。

 夕日がシアトル湾を茜色に染めて太平洋に沈んで行く頃、名残を惜しみながらBLOU’Sの皆さんやオイスターに見送られてサミッシアイランドを後にした。

 ホテルに帰り、空腹を抱えてレストランに入ってみると、目の前のケースの中に広島の地酒『千福』がでんと鎮座ましましていた。ステーキを肴に涙がぽろぽろと溢れ、嗚咽までこみあげる始末。太平洋の水平線にノスタルジアを感じたり、茜色の夕陽を見て『赤とんぼ』を歌ったり・・

 タコマ空港から成田まで8時間なとど考えたりしたのが祟り、泣き上戸になってしまったようである。次の日からバンフ、ジャスパーとカナディアンロッキーの旅が待っているというのに・・・。
 
 
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