連載 箱庭の海 〜かわうえ・きよしの海からのメッセージ〜

第7回 怪牛珍魚
2005年7月号


◆ 海 牛 (ウミウシ)

 夏の大潮に干潟を歩いていると、体長10センチくらいの奇怪な生物に遭遇する。濃い黄土色や黒っぽくて不快感お持たされるような色の模様を背負い、海鼠のように黙然と転がっている。これがウミウシである。実は同族が何十種類もいて、それぞれがかなり異なる生態を持ち、大きさもアメフラシの30センチ級から2〜3センチまで様々である。
 生物学的には「軟体動物門腹足綱直腹足亜綱異鰓上目」に属し、「ドウリス科」と分類され、たとえば「クロシタナシウミウシ」と名乗らされている。干潟の「寿限無寿限無五却のすり切れ…」で、長助さんに負けず劣らずの立派な名前であるが、よく似ている海鼠とは縁もゆかりもない。貝殻が退化したり全く無くなった巻貝の仲間と言うから判らないものである。丹那前の干潟に転がっている奴らはおそらく、恋の相手を求めて沖の深みから何日もかけて種族保存の営みを交わす為に這い上がって来たのであろうが、奴らはどうも雌雄同体であるらしい。当然、自然界のセオリー通り交尾産卵で子孫を残すのであるが、同種が二匹いればどちらかが雌になったり雄になったりで、貰ったり与えたりの往復交尾で、忙しいが全く無駄がない。併し生来目が不自由なので視力に頼っての愛の告白をすることが出来ない代わり、這い跡に残された粘液に含まれている或る種のフェロモンに敏感に反応し、体の右側面にある生殖管を結合させ思いを遂げるというから、限りなく神秘に近い営みである。また、一回で複数回の産卵可能といわれていることも怪牛らしくてよい。
 

 卵は夏から秋にかけて干潟の泥の上に産むのだが、そうめんを渦巻きに重ねたような柔らかい外套膜に包まれ、薄い黄土色をしている。カイソーメンと呼ばれ、殆どの人は見向きもしないが、中には、
「食べてみいや。旨いでえ!」
と、まことしやかに吹聴し、わざわざビクの中に取り集めたにを見せびらかす者がいた。食べてみた。よく洗って泥けを落とし、熱湯でさっとゆがいて冷水に取り、しばらく晒す。ざるに上げて水気をよく切って、酢味噌で食べると旨い、と言うのだが・・
 清水の舞台から飛び降りてみた。天下のゲテモノだった。生涯思い出したくない、想像に絶する不毛の味であった。これを食べて、旨いという(反社会的な)人は居たが、本体のウミウシを食べたと喧伝する悪食野郎はさすが居なかったようである。それもそのはずで、掴んだ時のあの触感は地球上のものではない。エイリアンである。貝殻も持たず、色彩も鮮やかなのになぜ食べ尽くされなかったのか。ウミウシ国には徹底した専守防衛の平和憲法が布かれていたのである。蹴飛ばされたり喰いつかれたりすると、傷口から濃い紫色の毒液?が吹き出したり、体の一部を自切したり、岩の隙間の防空壕に潜んだり、カイメンから取り込んだ毒を備蓄したり、などなど防衛法は完璧に近い物を持っているそうである。
 普通、ウミウシの生活は、海藻のミル、カイメン、イソギンチャク、ヒドロムシなど、定着したものや動きの鈍い小物を、生存してゆける最低限だけしか捕食していない慎ましいものである。これといったテリトリーもコロニーも持たず、自分の方から攻撃したり侵略したりすることもない。見かけだけでは判断できない典型のような可愛さを持った快牛である。(最近では時々「刺し網」にかかるくらいで、この海境の干潟や藻場の喪失と共に絶滅していく運命にある種族ではないか)。
 

◆ 朝日穴沙魚(アサヒアナハゼ)

 ハゼと名乗っていても、海岸の何処でも釣れるマハゼとは全然違う種類の小魚である。正式にはマハゼが「スズキ目ハゼ亜目ハゼ科」なのに対し、アサヒアナハゼは「カサゴ目カジカ科アナハゼ属」と言われているそうだ。簡単に言えば鱸(スズキ)と笠子(カサゴ)の違いである。
 住んでいる場所も違う。ご存じのマハゼは海岸に近い浅い所から河口を通り、かなり遡ったあたりまでが生活エリアだが、アサヒアナハゼはやや沖合のアマ藻やガラ藻の集落がある浅瀬に潜んでいる。「アナ」と冠せられているが穴住生活ではないらしい。丹那前干潟では大潮の干潮時、1メートルくらいの水深のあるアマ藻場の中に隠れ住んでいたが秋の終わり頃になると、渚に数十尾寄り集まってぴしゃぴしゃと泳ぎ回る。当時は食用としてあまり問題にされない雑魚で、気にかける人は殆どいなかったようである。
 実は煮付けにするとマハゼやキスなどより旨く、少し青みがかったコリコリと歯当たりのよい白身で、その淡白な味はいくら食べても飽きることがない。今にして思えば、味の天然記念物と言っても過言ではないのだが、今は埋立で住処を追われ絶滅の危機に瀕している。刺し網など年に四〜五尾くらいしか掛からない希少なものとなり、天下に味を知らしめる方法がないのが残念である。
 性格は小さいくせに頗る獰猛で、小型のギンポやタツノオトシゴなど自分ぐらいの大きさの奴でも猛然と襲って食べてしまう。産卵期は冬とされているが、秋遅く干潟の渚に集まって来るところを見ると。或いはその頃が愛の営みの始まりかもしれない。とにかくユニークさを絵に描いたような珍魚で、雄は体積に似合わない立派な生殖突起を持ち、見事なテクニックを行使して交尾し雌の体内に射精する。併し精子の面々は卵と出会ってもその場ではそしらぬ顔で、決して結合しない。雌がホヤなどの体内に卵を生みつけると、それを待ち受けたようにすかさず受精させるのである。これが「体内配偶子会合型」と呼ばれるアナハゼ属独特の種族保存法であるが、受精卵を生みつけたホヤにそれを保護させるらしく、かなりの知能犯で横着者でもある。
 
 
 昨年の秋口だったか、某新聞社の取材で刺し網漁をしたときのこと。キスやギザミに混じって我が珍魚くんが捕れた。色白美人の記者さんが目敏く見つけた。
「これ、何て名前?」
 日本各地の地元の人がアサヒアナハゼなんて呼んでいる所はないし、その時まで正式な名称を知らなかった漁師は地元の通名で答えるしかない。
「ええ!こいつは・・ちん・・ムニャムニャ・・」
女性記者には通じない。
「ちん?・・」
 漁師は新聞記者に答えなければならない。
 「そう、この辺では、ちんぼだし。ち、んぼ、だ、し、」
 そういって魚をつまみ上げ、彼女の眼の前で腹をぐっと押した。魚の奴、レディの前だというのに恥ずかしげもなく、にょきっと自慢の突起物を突き出した。その隆々と反り返った逸物を見て、
 「キャー・・」
 と彼女。なんとも間の悪い一瞬であったが、アサヒアナハゼ君の面目躍如たる場面でもあった。一方、同行のカメラマン氏は羨ましがることしきりであった。漁師の間ではどこでもみんな「チンポダシ」と臆することもなく呼び捨てにしているが、広島弁ではポがボになっていることで少し卑猥な感じもするかもしれないが、今や数少なくなったチン魚君の名誉の為、子々孫々まで「チンボダシ」とその名を伝えて残して行きたい。
 
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