竿から感じる川の変化、
    あるいはヌシからの伝言
 
2007年 6月 第74号


 三篠川はまだ自然の色が濃く残る川だ。三年ほど前、塾のイベントに合わせて、こんなことを書いた。

 三篠川は、ぼくが30年近く前、子ども時代を過ごした古里の川そのものだ。子ども達が釣った魚だけでも、オイカワ、カワムツ、フナ、ブルーギルなどなど数十匹。以前下見に訪れた時には、きれいな鯉たちの間を、スッポンが悠然と浮上してきてぼくらを喜ばせたし、シマヘビが滑るように川面を泳いでいく姿も見られた。

 お世話になっている『環・太田川』誌の方からも、「希少種のオヤニラミやスジシマドジョウも獲れているようですし、合格点があげられるような河川環境のようです。」とのお言葉を頂いている。

 ではぼくが感動したのはそれだけではない。

 三篠川に集う人々が、川の実力者たちであったということ、それに一番心を打たれた。迫り出した大きな岩上から、濃緑の淵にダイブする丸刈りの中学生たち、高校生たち。子どもを背に乗せて泳ぐ若い父親。それを河水に足をつけて涼しげに微笑んで見守る母親。

 圧巻は、7・8歳の孫を連れたおばあさん〜いや、おばばと呼ぶべきか。孫を川で泳がせている間に、焚き火を作り肉を焼いていた彼女は、ぼくらが釣りをしているのを見るや否や、大きな鉈を取り出して近くの竹を払い、一気に竿を作り上げた。孫の方はたちまちブルーギルを釣り上げたのだが、おばあさんは、外来種であるブルーギルを知らないらしく、「これはなんていうん」と持ってきたのはますます微笑ましかった。

 こんな達人たちが集う三篠川。思えば、ぼくらの原風景であるはずだ。このすばらしい川に子ども達を連れてくることができただけでも、ぼくはよかった、と正直思った。

 以来、ちょくちょく訪れては、ビール片手に釣り糸を垂れたり、足をつけたりしていた。

 ところが−

 昨年あたりから様子がおかしいのだ。ハヤが以前ほど釣れない。橋の上から見る魚影が薄い。

 渓流でアマゴを狙うのとは違って、ハヤ(類)は気軽な釣りの対象魚だ。子どもの頃は、百匹釣れなかったらバカにされる、その程度の魚であった。

 それが釣れない。アタリがない。どういうことだろう?

 ぼくは常に釣った魚をその場で食べるつもりでいるから、何も釣れないと、腹を減らせることになってしまう。環境云々より、腹の具合が気になったことを正直に告白しておこう。

 このたびは、そのような昨年来の経験もあって、ハヤ用の仕掛け以外に、淵を探ってみるべく特別の仕掛けを用意した。もしかしたら淵に隠れているかもしれない、そう思ったのだ。

 特別な仕掛け…ここにかくのは実は気が進まないのだけど、小型ジェットテンビンを擁した一番安い磯釣りセットだ。

 結果として、ハヤは釣れなかった。山ほど釣ったギギもかからない。これはいよいよ三篠川も最期か、そうあきらめかけた頃、竿がぐにゃりと曲がった。

 流木にでもひっかかったのかと思ったが、ちがった。ぐいぐいと力強い引き。「これは!」ラインが細いので、静かに岸へと引き寄せてゆくしかないが、かなりの大物だ。「魚影が見える!」黒い身体が薄緑の川面に透けて見えた。大ナマズだ。岸辺が砂浜だったのが幸いした。

 60pは越すだろう、岸で砂だらけになった大ナマズの体はぬめぬめと光っていたが、傷だらけだった。まるでこの淵での闘争の歴史をその体に刻んでいるかのように。

 ハリスをもって持ち上げると、ぶちっと切れた。

 「ヌシかもしれん」

 僕は蒲焼をあきらめ、ひとしきり彼の体を撫で回してから、ゆっくりと浅瀬に横たえた。川の水に再び浸された彼はしばらくじっとしていたが、やがて濃い緑色の淵へと去っていった。
 ヌシとしてぼくの前に現れた彼は、何かを伝えたかったのではないか。その傷だらけの体で・・・・(携帯電話で撮影のためボケた写真で失礼します)

 
 
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