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●投稿 |
トンネルを抜けると…そこは太田川だった… |
2001年5月 創刊号 |
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私は世間の流れとは逆行して?広島旧市内から可部線に乗って安芸飯室でおりて、てくてく歩いて職場まで通っています。朝のダイヤがまずくて職場に着くのが早すぎるので困っています。仕方がないので勤務開始までの長い間、ぼーっとして過ごしています。「なんでわざわざ可部線で通うんか?」とかいう人もおってですが、雪の日も台風の日も可部線です。そういえばこないだの地震は大変でしたね。
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なんで可部線に乗るんかというと、車の運転ができんのもあるんですが、窓からみる川の景色がたまらんからです。
川端康成の「雪国」の出だしに、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」というのがありますが、可部線は「トンネルを抜けるとそこは太田川だった」です。
列車が河戸の駅をでてトンネルに入ると、枕木の音、ディーゼルの音がこだまして、なんともセンチな気分になります。それが、トンネルを出た瞬間に、ぱーっと太田川の深い谷が飛び込んできて、センチメンタルが今度は「うわーっ」というような喜びのような気持ちに変わります。毎朝おんなじことの繰り返しですが、季節季節で雰囲気も違うし、あのトンネルを出る瞬間を楽しむのが癖になってます。
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でも、帰りは逆です。安芸亀山をでるとトンネルに入ります。仕事で疲れた体には、トンネルの空気はとても心地良いんです。が、トンネルを出てちょっとして視界が開けると、目の前は山積みされた「ごみ」です。
とたんに胸をしめつけられるような、悲しいような、なんとも落ち込んでしまいます。「うちらもろくな暮らしをしとらんなー」駅をでて家路をとぼとぼ歩きながら、そう考えることが多いです。といっても、できることといえば、せいぜい家の者に「あんまりごみを出さんようにしようや」と言うぐらいです。
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なんか暗くなってしまいましたが、可部から飯室までの毎朝の20分は、大好きな太田川に出会い、そして自分の生活を振り返る、ほかに換え難いひとときです。 |
(一坂 妙子) |
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