とりとめのない話になりますが、川の話は汲めども尽きぬ、ほんま川のように溢れてまいります。わしが育った家は、上根のほうから流れてくる根の谷川と、可部峠の方から流れてくる南原川がちょうど合流するところの下に、川に乗り出すような格好で建っとりました。昔の中原村城(じょう)、今の可部八丁目になります。
昔あのあたりはシンニュウ(深入)いうて、短い根の谷川の中でも、大きな淵があって、わしらには最高におもしろいところでした。
小さいころのことでまず覚えておるのが、昭和3年ごろ、三つぐらいのころのことですが、そりゃ恐ろしい大水がありました。そのとき、うちの家だけ、ご近所と総出で家のまわりに綱をまわして、家が流れんように電信柱に縛り付けた。幸い、家は流れんかったんですが、何故か電信柱が倒れとった。三つのころのことをよう覚えとるもんか、とよう言われますが、何度も体験した大水の中で特に恐ろしかったのか、はっきり頭に焼き付いとります。
うちの家のすぐ下に、ここらで「デビ」と呼んどる、鋼線で大きな籠を作ってそこへ石を詰めたものを川岸から出して、大水のとき水の勢いを弱める仕掛けが作ってありましたが、そのおかげか、うちの家が流されたことはありませんが、「デビ」の下では、「デビ」ではねた水が力を増して、ひどい目に遭う家もありました。うちらから、その下の八木や川内の方では、大水のとき逃げ出せるように船が吊ってある家が多かったです。それから、水が上がっても大丈夫なように、ちょっと不便な中途半端な高さのところに棚がすえつけてありました。
それから、大水で忘れられんのは、そのとき大きな石いうか、岩が、「ごろごろー」、「ごろごろー」、いうて動く音が家におっても聞こえるんよ。水の力はすごいもんじゃと幼心に思うたもんです。まあそれが川の掃除になるんじゃけどね。
(つづく) |