定年後の人生を過疎のまちづくりに!
〜広島市の北端、安佐町小河内に帰郷して〜
2006年 2月 第58号


  本誌会員、迫田勲さん(67)は5年前に母親の介護のために、広島市内から生まれ故郷の安佐北区安佐町小河内に帰郷。福祉や町づくりの仕事をすすめておられます。このほど、編集部に広島市内北端の過疎地、小河内地区の実態を綴ったリポートを寄せられました。今回はそのリポートを基に、迫田さんを自宅にお訪ねしていろいろお話をうかがってきました。(篠原一郎)
 

安佐北区
安佐町小河内


広島市中心部から太田川沿いに約30キロ、加計に向かう国道191号線の小浜から北広島町豊平まで約10キロの谷あいや山の斜面に19の集落が点在。
279世帯。
人口は630余人。

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○年少人口比率(15歳未満)
 5.8%
〜市全体15.4%

○生産人口比率(15〜64歳)
 49.2%
〜市全体70.4%

○高齢人口比率(65歳以上)
 45.0%
〜市全体14.2%

 「お母さんの介護の必要から40年ぶりに、帰郷されたということですが?」
 

 私は長男でこの地区の出身、丁度定年間近だったので、妻を説得して帰郷しました。40数年ぶりの地域は、農地は荒れて大変な変わりようですが、幼馴染も多いので、すんなり地域に入ることができて、故郷の有難さを実感しています。

 地域の状況といえば、高齢化率が45%ですから、年寄り世帯ばかりで、60代以上の方が細々と農業を維持されています。地域の中には就労場所がありません。若い人は飯室や可部など外に出ていますから、昼間はお年寄りと子供だけという状態です。

 私は、現役時代に有機資源リサイクルシステムを構築する環境関係の仕事をしていたので、帰ってからも落ち葉や家庭の生ゴミを利用して堆肥を作り、土づくりに利用、家の周りの菜園で少しの野菜作りをしています。(迫田さんの野菜栽培の記録は、一昨年毎日新聞の農業記録コンクールの広島県地区優秀賞を受賞)

 長年、母が一人暮らしをし、地域の皆さんにお世話になったので、恩返しのつもりで一昨年から、私の住んでいる小峠という集落の自治会長、昨年からは小河内地区の社会福祉協議会の事務局長を務め、地域のお世話をさせていただいています。
 
 山の中の一軒家で一人暮らし

 地域の中にはスーパーや病院、JAや銀行、警察や消防など生活を支える機関や施設は一切ありません。お年寄り世帯が多い中で、日々の買い物など、皆飯室まで出掛けなければなりません。一人暮らしも30人居られます。先日も、夜電話がかかってきて「お腹が痛い」と訴えられるんです。すぐ「行きましょうか?」といったのですが、少しお話をしているうちに「よくなった」といわれたので行かなかったのですが・・・。結局さびしいのですね。人と話をするだけで、気分がよくなるのだろうと思います。

 この方は89歳のとUさんという方ですが、県道から500mぐらい山道を登った所の一軒家に奥さんと死別されて、5年位一人暮らしです。子供は県外や他地区で生活していて、一緒に暮らそうといっていますが「ここがエー」と応じません。

 週一度のデイサービスで、皆に会って話すのが唯一の楽しみ、又週1回、タクシーで飯室の内科医院に行く以外は自宅にいます。週に2回ヘルパーさんが家事の世話に来てくれます。「先日の大雪で病院にも行かれんかったが市役所に電話をして除雪してもらい、やっと病院へ行けるようになった。毎日コタツの番ばかりで話し相手がいないので、さびしい」と言われます。今年のような大雪の場合、なにかあってもどうすることもできないんですね。

 生きる力のある限り自立する

 私はこういう極限のような生活環境に生きているUさんの生き様を見て感動し、教えられました。人が生きていくというのは大変なことです。子供たちが声をかけても何故Uさんはここを動かないのか?人は何故生きるのか?生命とは何か?などを考えます。

 Uさんは一人でも自立して生きるたくましさや、生命の尊厳について身をもって教えてくれ、何年か先の自分の姿を見せてくれているように思います。小河内にはUさんのように山の中での一人暮らしの高齢者が他にも沢山います。このたびの豪雪では新潟や長野などもっと厳しい環境の中で一人暮らしの方達の様子も報道されていますが、日本全体がこういう過疎化、高齢化に向かっていることを考えさせられます。

 Uさんを見ていると生活の基本、福祉の基本は「自立」だと思います。手足の動かせる間は自分で自分のことをするのが一番幸せと思っておられるのでしょう。傍で見るほどには大変と思っておられないのかもしれません。しかし、一方では「話し相手もいないし、さびしい」思いも確かなことだと思います。人間は一人では生きていけません。話し相手がいないことが一番つらいのです。
 
 声かけが福祉の原点

 マザーテレサの言葉に「愛の反対は無視することだ」ということばがあります。人は縦横無尽に社会とかかわりを持ち、多くのしがらみの中で生きています。最近、学校などでイジメが問題になり、自殺などの事件が起きたりしますが、この場合でも周囲から無視され、仲間はずれにされることが一番、問題の原因になっていると思います。愛の表現が声をかけることであるのに対して無視するのは声をかけないこと。これほど淋しくつらいことはないと思います。私は一人暮らしの高齢者には特に声をかけることが一番の社会福祉だと思って実践を心がけています。「声かけ」は社会福祉の原点です。

 小河内にはまだ、地域の人々が日々、相手の気持ちを思いやり、気軽に声を掛け合う温かい風土とコミュニティーがあります。この近隣社会=コミュニティーが過疎地の命綱です。高齢化の中で、葬式も集落で面倒がみられない所もだんだんでてきていますが、まだお互い助け合い精神は生きています。そこを基にして社会福祉事業としては、ボランティアの人が月1回食事を作って、民生委員が安否の確認や相談など、お年寄りの見守りをかねて配食サービスを社会福祉活動として実施したり、地域の人々が自主的に集まって会食などをすることを支援しています。
 
 小さな役場の自主運営

 JAが合併した後、その建物を小河内集会所にして「ふれあい広場」と名づけ運営委員会で運営しています。ここには地域の自治会をはじめ、老人会、青少年協議会や女性会など、各種の団体から、月〜金曜日まで毎日当番を決めて出勤し、そこへ市役所やJA、保険所の係が出張して、出前サービスを実施しています。また当番の人は、地区の人々が気軽に立ち寄って、様々な生活相談ができるようにしています。また、「ふれあい広場」には100uのギャラリーを整備して、小学校児童の作品や、地区住民の手作りの民芸品、絵画、写真、手芸品などを展示しています。中には県美展入選の50号の油絵の大作2点もあります。このように、住民同士のふれあいの機会をつくり、希薄になりつつあるコミュニティー維持に力を入れています。
 
 都市との交流で活性化を

 小河内の人口は昭和30年ごろまでは2千人以上いましたが今は700人を割り3分の1に減り、2人に1人は65歳以上です。小学校児童は19人、保育園児も5人。このままでは先細りも目に見えています。そこで都市との交流を図り、地域を活性化させようと、様々なまちづくりの事業に取り組んでいます。

 「柿もぎ隊」もその一つですが最近は熊や猪などが出没して、人への危害不安と農作物の被害が出ています。特に熊への対策で、エサになる柿を都市住民にとってもらい、熊との共生、棲み分けを考えようというので、広島市民に呼び掛けたところ、400人以上の希望者があり、抽選で100人を選んで、地区にある800本の柿の木の実をもいでもらいました。渋柿が殆どで、採った柿は、勿論無料で持ち帰って干し柿などにしてもらうのです。これは今年1月にNHKの「ご近所の底力」で放映され、全国から注目されました。
 

 また、数年前から田んぼののり面に芝桜を植えましたが、これが夏には美しい景観になります。毎年4月末には芝桜祭りを開いています。

 11月の秋祭りには200年続き、広島市の無形文化財に指定されている祭礼「吹き囃子」が盛大に行われます。ほかに原爆献水になる名水もあり、こうした地域資源を活かして都市との交流を盛んにして地域を活性化していこうと色々な企画を考えています。
 

 「迫田さんは広島市の地球温暖化対策地域協議会の委員などをされて、環境問題でも活動されていますが、どういうことから?」
 
 現役時代に環境関係の仕事をしていたこともありますが、広島市内から田舎に移り住んで自然の素晴らしさ、大切さ、田舎の良さを実感しています。とくに太田川の傍で生まれ育ったこと、広島市は毛利公の時代から太田川とともに歩んできた歴史を思い、この自然を皆で守らねばという思いから、市の温暖化対策地域協議会では市民活動の分科会に所属して環境保全活動をしています。
 
「どうも有難うございました。」
 
 
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