●ブラリスト小林一彦のあしたはどっちだ?!

 (5)導かれて、沖縄。 2001年 9月 垂穂号


【小林一彦】
1962 年広島生まれ。崇徳高等学校卒。
幼稚園時代に登園拒否。
小学校時代は、学校・児童相談所・精神科(笑)を行ったり来たり。
中学ではイジメを受けるが、格闘技を学ぶことで克服。
現在、コピーライター・シンガー・FM のDJ(ひろしまP ステーション76.6MHz)・コラムニスト・シーカヤッカー・バイカー・武道家などの多芸と、生来の放浪癖を相称して“風来離師(ブラリスト)”と名乗っている。
全国版フリーペーパー「B.B.B /ブラリスト小林一彦の屈折流れ旅」など、レギュラー連載コラム多数。
スコールの中、那覇港から東シナ海へ漕ぎ出すブラリスト小林。
海図とコンパスが頼りとなる、文字どおり見渡す限りの大海原に初めはビビってしまった。
でも気分は「アラビアのロレンス」。

 「思いつきでものを言ったり行動したりするんじゃない!」とは、読者諸兄も言ったり言われたりした経験がおありだろう。浅はかな行動をたしなめる意味で使われるが、でも俺は職業上この「思いつき」つまりインスピレーションを物凄?く大事にしている。
広告の仕事をしていても、データに基づいて何日も考えまって辿り着いたアイデアを惜し気もなく捨て、たった今思い浮かんだヒラメキを優先することもしばしばだ。うまく説明出来ないけど、そんなある種、非科学的&突発的な心のうずきみたいなフィーリングに全幅の信頼をおいている今日この頃。これに従うと事がすんなり運んだりするからますます不思議なんだ。

 たとえば最近もこんなことがあった。

 今年の5月頃、ふいに「沖縄に行かねば」という気分が出し抜けに沸き上がってきたのだ。もちろん脈略なんてあるわけがない。次に俺は、じゃあ、沖縄に行ってナニをしたいのか、自分自身に問うてみた。自分自身に問いかけるなんて、考えてみればおかしなハナシではあるが、まず最初にインスピレーションがやってきたのだから順番としてはこれでいいのである。そしたらしばらくして脳裏に、シーカヤックに乗って、沖縄の紺碧の海をニコヤカな表情を浮かべつつ漕いでいる俺の姿がうすぼんりイメージできた。ああ、これはいい、気持ちよさそうだ。いつも俺は瀬戸内海でシーカヤックに乗っているけど、沖縄のケラマ列島あたりを何日間かかけてじっくり気ままな旅をするっちゅうのはさぞかしハッピーではないかいな。無人島にテントを張り、珊瑚の海で泳ぎ、沈む夕陽を眺めつつオリオンビールをグビグビ、プハ?。陽が沈めば、天体を覆い尽くすほどの生プラネタリウム。それから俺はミュージシャンでもあるから、ウクレレかなにか楽器を持っていって潮騒とセッションするのもいい。チャンプルー料理も食いたいゾ…そんな具合に堰を切ったようにイメージが次々と溢れ出してきた。そうか、俺は沖縄に呼ばれているんだ。

 そこで、ここからが重要なんだが、俺はその願望があたかも実現したかのように、それぞれの光景をできるだけありありと脳ミソのイメージスクリーンに強くスキャニングしてみた。(なにせ去年の正月、まったく出し抜けに「FMのDJでも久しぶりにヤリたくなったなあ」と思い立ったときもこの方法を使い、その3カ月後には新しく開局したコミュニティFMのオーディションを受け、760人の応募者の中から選出されたのだ)この時点で、そんなうまいこと長期休暇が取れるのかとか、シーカヤックを借りるにはどうすりゃいいか、ガイドなしで知らない海域に出るのは不安だなあ、などということはとりあえず考えないのだ。まあどうにかなるわい、信じ切って、あとは流れに身をまかす。

 そしたら、アララ不思議、次々と沖縄関連情報や沖縄出身者と触れあう頻度が急激に増し(こっちから求める、というより向こうからやってくるかんじ)、そしてとうとう決定的な出合いが訪れた。
6月某日、俺は広島市内のカヌーショップが企画した「沖縄のシーカヤックフィールドを紹介するスライドショー」なるイベントに参加していた。イベントは、沖縄カヤックセンターの仲村忠明さんという日本シーカヤック界では知らぬ人がないほどのパイオニアを招いて、彼自身のレクチャーを聞きながらスライドを見るという趣向である。もちろんこのイベントが開かれることも主催者から偶然に教えられた。
さて、スライドショーは1時間ほどで終了。せっかく仲村さんが来ておられることだし、場所を変えて懇親会でもやりましょう」と主催者が参加者に声をかけ、十数人でソウルミュージック系ショットバーへ向かう。エレベーターを待ちながら、俺がボサーッと突っ立っていると、アロハシャツを着た日焼けガングロオヤジが人をかき分けながら近付いてきて「おお!小林ィ、久しぶりー!ワシを憶えとるかあ?」とニコニコ話し掛けてきた。肩などバシバシ叩きやがってヤケに馴れ馴れしいオヤジだ。ええっと、どちらさんでしょう…ゲッ、もしかしてっ?!

 なんと、そのガングロオヤジは俺の小学校時代の同級生だったKではないか。20数年ぶりの再会である。お互いにオヤジはオヤジであるが、地に足が着いていないというか、精神年齢はあまり成長していないようですぐに打ち解けることができた。

 ビール飲みつつ「オマエも沖縄、好きなんか?」とK。「いや、行ったこともないよ。でもいつか沖縄をシーカヤックで旅したいと思っとるんじゃ」と俺。ははあ、そんならワシが案内しちゃるわい!ワシゃあ何十回も沖縄行っとるけえ隅々までよう知っとるんじゃ、まぁまかしとけぇや。シーカヤックもワシのが沖縄のショップに預けてあるんじゃ。2人乗りじゃけぇ、オマエも一緒に乗って漕ぎゃあエエが」

まさに「渡りにフネ」とはこのことである。しかも彼は土地カンがあるだけじゃなく、幼馴染みということでこれ程までに心許せる人物はない。
「ホ、ホンマかッで、いつ行くんなら」
「いつでもエエけぇ小林の都合のエエ日程をゆうてくれ。そうじゃの、たとえば今年の盆あたりどうや?」
てなカンジでスイスイ話が進み、今年の盆「4泊5日沖縄 那覇?ケラマ列島シーカヤックキロ酔いどれ流れ旅」がホンマに実現してしまったのである!それはそれは、イメージを遥かに凌ぐ夢のような数日間でありました、とさ。
座間味沖の無人島にて。
漕いで、泳いで、飲んで、食って、満天の星を眺めながら眠る。
こんな漂流生活が4日目ともなると、脳ミソがフヤけてしまって、思考回路も停止。
私は一体誰でちょね?の図。
 
 そう、出来事には必ずメッセージ?がある。
「偶然」などない。それを意識しながら日々暮らしていると、だんだんメッセージの意味(意図)するものが読み取れるようになってくる、と俺は思うのよ。
ある高名な数学者のハナシだが、無意識状態の時、極めて難解な高等数学の数式計算をぼんやり眺めていて、いきなり「解答」が閃くことが何度かあったという。あとで計算してみるとそれが正解だったそうな。似たようなことは物理学者や生化学者、天文学者とか、それこそ「科学界」の住人がかなり体験していることを本で読んだ。
禅でいう「三昧(ざんまい)」は、それにトコトンのめり込むことによって現出する、無意識からの聖なるメッセージをキャッチするひとつの方法ではないのだろうか。俺の場合も先に「答」がやってくるカンジ。
理由はあとからゆっくり考えりゃいい。中国拳法や禅の世界では「準備ができた時に師が現れる」いう箴言があるがこれも的を得ているんじゃなかろうか。

 見えざる手に導かれているようだった今回の沖縄無人島ツーリング。新しい発見と感動の毎日。ほんと、手付かずの自然が圧倒的なスケールで迫ってくる沖縄の離島は素晴らしいよぉ!その昔、瀬戸内海や中国山地の山々もこうだったのかも。環境保護の意義と無人島で飲むビールの旨さを再認識させてくれた旅だが、刺激が強烈すぎて、いまだ精神的に社会復帰できとらん(笑)。
皆さんもいかが?いいガイド、紹介します。
 
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