●ブラリスト小林一彦のあしたはどっちだ?!

 (3)河原はつづくよどこまでも 2001年 7月 若苗号

 センチメンタルじゃあにゃい!太田川カヌーツアー報告
 
 去る6月17日、梅雨の中休みでピーカンの日曜日に、「環・太田川交流会」のイベントの一環として企画された「かつての川舟が往来した航路を探訪する、センチメンタルジャーニーなカヌー旅」をやらかした。そう、あの、創刊号で俺がつまらぬ提案をしたばっかりに、実現の運びとなってしまったアレである。

 スタート地点に選んだのは、戸河内インターから川沿いに車で3分遡った「轟の浜」。ここは川舟航行の発着点として利用されていたところで、なるほど、天然桟橋のごとく平らな岩の岸壁が両岸を固め、往事を偲ばせる。フネはいつも海で使っているリニアポリエチレン製の5mもあるシーカヤックではかさ張るので、以前、錦川を下るのに使ったドイツ・グラブナー社のゴムカヌー「ホリデーM」を使用。ゴムカヌーと侮ってはいけない。素材には同質量の鉄よりも引張り強度にすぐれた特殊繊維が使われており、NASAの装備にも採用されているハイテクギヤなのだ。川下りの実行犯、いや、実行班は俺とテッツンのみで、陸上班は「石垣博士」として名高い佐々木卓也さんのレクチャーを聞きながら、要所を散策するという趣向。

出発地点となった
轟の浜⇒
 AM10:20、橋の上からイベント参加者の盛大なお見送りを受けて優雅に出航。テッツンには前日、太田川中流の高瀬堰あたりでカヌーの特訓を施しておいたので、なかなかパドルの扱いが様になっている。カヌーの下を60センチはある野鯉がスーッとよぎり、思わず顔がニヤけてしまう。これは愉しいことになるかもしれんぞお!


いよいよスタート⇒
この先に待ち構えている困難にまるで気付いていないふたり。

が、橋をくぐって数十メートル先で早くも航行不能。水が膝下までもなく、しかも一抱えもあるような石がゴロゴロ。
仕方なくカヌーを降りてライニング(ロープでカヌーを牽引すること)を始めたが、ここで重大なミスが発覚した。シューズのセレクトをしくじったのだ。

俺が当日履いていたのは、カヌー用のパドリングシューズ。これはコケの付着した石の上を歩くには、はなはだ不向きにできており、足を踏み出したとたん俺はいきなりツルリともんどりうって尾てい骨を強打。立ちあがったと思ったら今度は前のめりにつんのめって、空手の試合でも殴られたことのない自慢のハナをカヌーのデッキにブツけてしまった。俺のカヌーのフィールドはほとんどが海で、渓流域でのこうゆうシュチエーションはほとんど未経験なのだが、それにしてもカッコ悪すぎる。
艱難辛苦汝のタマを打つ? テッツンもさぞかし…と見れば、意外にも彼は平気でしっかり歩いている。彼が履いていたのはクツ底がフェルト状になった鮎釣り用シューズ。カヌーのライニングは彼に任せ、俺はひたすら不様にツルツルズテン!を繰り返しながら石ころだらけの浅瀬をコモドオオトカゲよろしく這いずるハメに。くるぶしもボコボコに打ちけ血もにじんでいる。十数回めの転倒でトドメとばかりに男の急所をしたたかに打たれ、しばし戦意喪失。「お、おのれッ…」カヌーにすがりつくようにしてカウント8でかろうじて立ち上がる。「艱難辛苦、汝を玉にす」だと?!これじゃ「艱難辛苦、汝のタマタマを打つ!」じゃないか…。

 20分の苦闘の末、なんとか第一の難関をクリア。水深1メートル程度の緩やかな流れにやっとこさ辿り着いてカヌーに乗り込む。ヤレヤレだ。気分転換にアイスボックスからビールを取り出してテッツンと乾杯。指先に痛みを感じて、見ると、どこにブツけたのか、いつのまにか爪が割れている。

 でも、ようやく流れに乗れてとにかくよかったですなテッツン。さっきまで気付かなかったが、鳥のさえずりにも心なごむなあ。おまけに海と違い、川は漕がなくても運んでくれるからラクチンじゃわい。一瞬、昔日の川舟乗り達に思いがシンクロする。ビールもウマイ! みたいなほんわかムードもわずか5分で終了。無慈悲にも再び石ころだらけのフィールドが眼前に迫ってきた。ここもなんとか突破すべく10数分カヌーを担いだり引っ張ったり悪戦苦闘していると、今度は行く手に鮎釣りのオッサン達が、水たまり程度の浅瀬に竿を延ばしているのが見えた(こんな状況で釣りになるんかいや?!)。オッサンは「ワシラはエントリー料をちゃんとはらっとるんじゃけえの、こっちに来たらゆるさんけんの!」と言いたげに、全身で不快感を表現してこっちをギロリと睨みつけている。水量が充分ある場合、カヌーが上を通ったぐらいで鮎は逃げたりはしない。が、ただでさえ魚影が少ないのに、ゴロゴロ石だらけの浅瀬をカヌーを担いだ怪しい二人組にジャブジャブ通られたんでは、イジワル以外のなにものでもない、釣り師がナーバスになるのも理解できる。この先、何十回となくこうゆうシーンに出くわし、俺達もそのつどひたすら頭を下げ続けるしかないなら、そのうち卑屈になって、こっちもグレるぞ。メンドくさあ…。

 ふと視線を感じて見上げると、川土手にサポート隊(といっても一人だが)の田原男爵が、沖縄のシーサーみたいな不自然な顔つきで突っ立っている。懸命に笑いをかみ殺しているのだ。どうやら俺達のブザマな奮闘ぶりが死ぬほどおかしかったらしい。

「おーい、田原どの!この先もずっとこんな具合なんかぁ?この先の状況を教えてくれい!」「ずぅーっと同じ。もうヤメとけヤメとけ!」カヌーを一旦岸に引き上げ、土手に登って川下に目をやれば…ぐおおっ!
見渡す限り白いゴロゴロ石の連なり。そのあいだをわずかばかりの水がチョロチョロ流れており、根性のある釣り師がウヨウヨ。川下りどころではない。全身が虚脱感に包まれる。

 普通、カヌーで川下りをする場合、可能な限り事前に入念な下見をするものであるが、今回はあえてそれをしなかった。「ハプニング」を期待しての意識的なサボタージュだったのだが、これでは度を越している。ここまで水が浅いとは予想してなかった。こうゆうのを文字どおり「浅はか」というのだナ。つまらぬシャレに苦笑いしつつテッツンに向き直る。自然が相手の場合、あきらめも肝心だ。「こりゃ無理です、ギブアップしましょう」てなわけで、AM11:20あっさリタイア。伴走車のワンボックスカーにカヌーをたたんで積み、ゴール予定地点の加計(ここではイベントの参加者が、アユを焼きつつ俺達の到着を待っている
)まで、どっか川下りを再開できるポイントはなかろうかと、川土手を走りながら未練がましく川を観察したが、見るんじゃなかった、と言いたいぐらいそれはそれはシビアな光景だった。ほんまに水がないのだ。
わずかに堰堤の手前のみ、ある程度の水が“貯まっている”カンジだが近寄ってみるとこの水が臭い。掃除をしていない池のニオイといえばわかりやすいか。生臭く、澱んでいる。

 かつてここを、江戸時代から昭和初期まで大きな筏や川舟が往来していたとは到底信じがたい。今年の渇水は特にヒドイらしいことをあとで地元のオッサンから聞いた。どうしてこんなことになってしまったんだろう。中国電力による大量の取水、降雪・降雨量の減少、「緑のダム」として機能を失ってしまった森林etc。さまざまなファクターに苛まれ、命の源である太田川が瀕死の状態で喘いでいるのだ。

 「川がこんなんじゃ、海も汚れるわけよ」とダイビングのインストラクターでもある田原男爵がポツリ。この現状、奇しくも思いつきの企画で、身を持って体感することができたのだが、まだまだ多くの人々の興味の及ぶところではないわけで、それを思うとさらに暗澹たる気持ちにさせられてしまう。江ノ川や錦川に比べて太田川がカヌー乗りに不人気なのも理解できた。折り畳みカヌーを可部線で運び、市街地まで川下りの旅を楽しむ、という企画も水泡と化した。あれこれ逡巡しているうちにあっというまにゴールを予定していた加計の河川敷グラウンドに到着。テッツンが口を開いた。「小林さん、早々とリタイアしたわけですが、いいわけはどうしましょうか?」「とりあえず、アユが食いたくなったので、と、ゆうことに合いの手を入れるように、ハラがキュ.と、情けなく鳴り響いた。


 …が、こんなことぐらいで懲りる俺達ではない。近々、もうちょっと下流の航行可能な場所を探し出し、リベンジマッチを敢行する予定。乞うご期待。ところでちょっと前、倉本ナントカ&C.W.ナニガシ両氏がちゃんとカヌーで太田川(それももっと上流部の立岩ダムから原爆ドームまで!)を割とスムーズに下っているようなのをテレビで見たことあるけど、手品でも使ったんでせうか?
 
 
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