●ブラリスト小林一彦のあしたはどっちだ?!

 @創刊熱血奇行、じゃなかった寄稿! 2001年5月 創刊号

太田川のようにセクシーな男 小林一彦 
 昨年秋、網膜剥離を患い、3週間に及ぶ人生初の入院生活を経験した。そこで、病棟内では、そのひとの病名が、「肩書き」になってしまうことに気づいた。

 たとえば僕なら当然「網膜剥離の小林クン」だし、70過ぎても背中がピシッと伸びた元気なジイチャンは「糖尿の藤本さん」と呼ばれていたし、ほかにも「人工透析の沢田サン」や「尿道結石の田中サン」という具合。

 もう大会社の重役であろうが、ヤクザだろうが、学生であろうが主婦であろうが、パジャマを着せられ無慈悲にも病名でカテゴライズされてしまうのだ。

 朝昼晩の三食を得るためには、配膳室前に行儀よく整列せねばならなかったりもする。うっかり割り込みでもしようものなら入院歴半年のおばあちゃんに「コリャ!番ぬう(広島弁で「順番を抜かす」という意味)はイケン!!」と叱られるのである。ある意味で病棟内とは、この地球上で最も平等な一個人、生身の人間としてのはかない「俺」や「ワタシ」をつくづく自覚させられるエリアといえるかも。
 
 実のところ、僕は肩書きというモノを複数持っていて、収入の多い順に羅列すると

 @広告デザイナー事務所のコピーライター兼ディレクター

 AFMのDJ(コミュニティFM局ひろしまPステーションの毎週火曜日夕方2時間生番組「土橋町名物・元祖夕やけドンブリ」76・6MHzを担当。)

 Bミュージシャン(ジャンルに捕らわれない俺だけのオリジナル、つまり「俺ジナルソング」をひっさげ西日本各地でライブ展開中)

 Cコラムニスト(全国版フリーペーパーB.B.B.誌上にて「小林一彦の屈折流れ旅」好評連載中)

 D武道家(所属している武道団体「心体育道」の教則ビデオで実技演武を披露し、今年ビデオデビューを飾る。決してAV男優ではない)

…とまあこうゆうことになるのだが、これでは人に説明するのにひどくホネが折れるうえに、しばしば誤解を招くこともある。「小林クンってミュージシャンじゃなかったかいの?」「いや、デザイン事務所に勤めてるハズだぞ」「身体がムキムキだが、いつ鍛えているんだ?」「FMでしゃべっているのを聴いたことがあるで」となり、結論として「ううむ、一人の人間にこんなことが全部出来るハズがない、やっぱりアヤツは信用できんのう」「そうじゃ気をつけよーで」「カネ貸すなよ!」てな具合だ。もっとヒドイやつは「小林はですね、ありゃあクローンなんですよ。カレを同時に別々の場所で見た、ゆうハナシもあるぐらいですから。それも話題の最新クローン技術を使ったわけじゃなく、半分に切ったら増えるわけですから単純ですナ、ズバリ原生動物です」などと、まことしやかにのたまったりするので始末におえん。
 

 まあ、いい。人が混乱しようが誤解しようが別にかまわん。なにせ、俺の中ではそれらが別々に存在しているのではなく、しっかりリンクしているからである。つまり「環」なのだ。「環・太田川」、実にいいタイトルじゃないスか。

 その太田川の循環に異変が起きているようだ。宇宙のリンクが見えない人は無関心でいられるのだろうが、太田川は人間の体に例えるなら「広島の脊髄」、ここをヤラれると四肢も麻痺する。太田川が健康を取り戻すために、僕もアクションを起こしたい。それには、「興味があるひとだけ集まってくればいい」という発想じゃダメだと思う。「そんなもん全然キョーミない」という人にこそ、語りかけていかなくては、大きなうねりは起こせない。

 方法はこれから提案するつもりだが、とりあえずやってみたい企画がある。編集スタッフの原テッツン(この男は「のりゆき」が本名だそうだが、初対面の人間にそう呼んでもらったことは一度もない)、僕と一緒に、初夏に太田川の源流からカヌーで、かつての川舟が往来した航路や港の面影を探訪し、この「環・太田川」でレポートする、というの、いかが?

 てな、原稿をまったくの思いつきで編集部に送ったところ、「ほいじゃさっそく川下り、やりましょうや!」という元気のいい返事をテッツンからもらって、やや困惑している(笑)。僕としてはこの「環」には一読者というスタンスをとるつもりだったので、このように大きく編集にコミットするハメになるとは思わんかったもんで。風雲急を告げるオープニング、引くに引けない川下りプランの詳細は次号を待て。

 西にうまい酒があると聞けばヨロヨロ、東にイイ女がいると聞けばヨロヨロ…流され続けるブラリスト小林の、あしたはどっちだ?!
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。