●可部線

 加計駅がなくなった!

〜半世紀の歴史を閉じる取り壊し工事〜
 

(2005年9月 第53号)

 50年以上にわたって安芸太田町加計の町の玄関だった加計駅の駅舎が取り壊されて無くなった。今年3月の町議会で旧可部線のレール、枕木の売却などにかかわる予算が可決され、町当局は東京の専門業者にレール、枕木を売却。7月末から加計駅撤去工事が開始され、9月初旬には長く町民に親しまれてきた加計駅が姿を消した。

 取り壊し工事の続く中、加計の人々に聞くと「さびしくなってやれんけえ、工事現場も見たくない」という声が多かった。工事現場ではそういう町民の気持ちに気がねするように布のパネルを張り巡らせ、工事を隠して取り崩し作業をしていた。
 
 
 写真@は昭和29年3月31日に可部線(当時は本郷線)が加計まで敷設されて、開駅した当日の加計町のお祝いパレードの模様。

 この写真を提供してくださった加計町の「盛文堂」書店経営者で前加計町商工会会長の河野仁士さん(67)は「私は16歳で中学3年の時だったんですが、開通式の日はお祝いのパレードがあったりヘリコプターが飛んだり、大変な賑わいでした。我々の先輩たちが築いてきた可部線加計駅が消えて、本当に残念なことです」と語る。

 
100mでも走らせたい

 河野さんたちは可部線廃止後も、せめて加計から戸河内の高速道路ICのある上殿までの短い区間でも、JRから譲渡された「キハ28」ディーゼル車両を観光用に走らせたいと「キハ28」を守る会を組織して、町当局に陳情してきた。

 町は駅舎跡地にバスターミナル、駐車場と観光の為の体験型学習施設を建てる予定だが、河野さんたちは車両を一般公開して、可部線関係の資料や写真を展示し、展示をする仮設ホームから車両倉庫まで、100mでも車両を走らせるようにと引き継ぎ、町に働き掛けている。

 可部線「坪野」駅から加計へ向かって300mほどの道路脇に、国有鉄道2万キロ達成を記念する石碑がある。明治5年、新橋〜横浜間を初めて鉄道が走ってから、全国にレールが敷設され、1954(昭和29年)年に加計までの敷設によって2万キロに達したことを記した碑である。碑の正面にレールの断面の形が印され「20000」の数字が刻まれている。

 今、可部線のレール撤去作業は、上方は戸河内から、下方は安野から進められている。記念碑の前のレールも撤去される日が近づいている。
 
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