写真・絵画で甦る太田川

写真・絵画で甦る太田川 
(68)新庄の宮 夫婦楠

 現在は大宮1丁目、国道54号線を横川から北へ僅かに走った道端に巨大な二本のクスノキが圧倒的な迫力をもって立っている。あの原爆で壊滅した広島の中で爆心からの距離があったとはいえ、このように旺盛に生き続けたことにある感動を覚える。
俗に「夫婦楠」と呼ばれているようで、地面から目通りの高さで周囲が6メートル40センチの木と、5メートル35センチの木が並んでいる。樹齢は凡そ500年と推定され、広島県内でも一、二を争う古木だという。この地に神社を建てた時に紀州の熊野神社の分霊を祀って「新庄熊野神社」と呼んだ。その年代が15世紀の終わり頃だと神社の古記にあるようだ。

 ところで、この近所に楠木町という町もあるのだが、楠があるのは楠木町ではなくて、元は新庄村だった現在の大宮町であること。これは何だか間違いやすいが、クスノキは古来長寿で巨大な樹幹に成長し、かつ常緑であることから多くの神社に植えられてきた樹である。江戸時代、芸藩通誌の記録では新庄村は楠木村に隣接し、共に藍作りを産業としていた。また藩の特注で墨製・専売していた。明治22年より三篠村の大字となり、昭和4年より三篠町新庄に、昭和8年に新庄町となる。しかし太田川放水路の建設によって町は東西に分断され、西側に新庄町の名は残り、東側は大宮町と三篠町となり、新庄ノ宮神社は大宮町の中に入ってしまった。

 というのが町名変遷の概略だが(『角川日本地名大辞典』より)クスノキのことを調べてみようと思って『樹の辞典』(朝日新聞社編)を開いて見るとこう書かれている。「クスノキ−漢字は樟で、楠はタブノキである。」・・・えっ?それじゃあの神社の樹は「夫婦クス」じゃなくて「夫婦タブ」だったの?これは大変、もっと調べなければ・・・と慌てて図書館へ。そこで『木の大百科』によれば「わが国ではクスノキに楠および樟の字を用い、タブノキは椨を用いているが、中国ではタブノキ類が楠で、タブノキそのものは紅楠と書く」とあった。諸書を広い領域から見る必要も教えられた夫婦楠であった。
(幸田光温) 
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。