写真・絵画で甦る太田川

写真・絵画で甦る太田川 
(59)美多 三田(みた)十景


 現在では広島市安佐北区白木町の一部となっている三田だが、三篠川(三田川)沿いに細長く伸びた村で「三田三里」と言われていた。ここで郷土史研究家であった永井弥六氏に師事して研究会の世話などをしてこられた竹内寿氏が数年前に三田の四季の絶景を選んだ「美多十景」を発表している。ただ個人の好みに留まらず多分に客観性もあろうと思われるので紹介してみよう。

旧三田村はJR芸備線で広島を出発すると八つ目の狩留家駅を過ぎてからがその領域で「白木山口」「中三田」「上三田」の三つの駅が含まれる。鉄道はほぼ川に沿って敷設されているから上三田から下って行くと、

 一、「堂山の黎明」(吉永)
 二、「轟ヶ瀬」(三日市)
 三、「安駄山の青嵐」(鳥井原)
 四、「古城の雨」(古川)
 五、「琵琶ヶ淵」(古川)
 六、「滑らの白鷺」(中三田駅前の川)
 七、「高鉢山の秋の月」(大椿)
 八、「白木山の初雪」(林)
 九、「弓場(いんば)の晩鐘」(福永)
 十、「宮原の絶壁」(宮原)      ( )の中は小字名である。
 

  堂山には近世「成福寺」という寺院があったという。
 轟瀬は以前に三田川の舟運で写真を掲載したことがある、この川の最大の難所であった。その轟瀬のすぐ川下が左の写真で、舟運時代の中継基地であった久保浜跡である。当時の蔵の石垣の痕跡が残っているが、川を隔てた向こうの鉢を伏せたような山が三の安駄山(あんだ・735m)で阿弥陀山とも呼ばれている。その手前が四の古城で中世三田氏の居城の跡だという。
その城主に招かれた琵琶法師が川を渡る際に誤って大切な琵琶を落としたという伝説があるのが琵琶ヶ淵。次の六の「滑ら」は川床が全て岩で、水流で見事に磨かれている。(戸河内から筒賀松原にかけても「轟」や「赤滑ら」と呼ばれる同様な川があることをご存じの人もおられると思う。)

 高鉢山は安駄山と同様に東広島市との境界線となっている。また白木山(890m)は可部町との境界でこの高さの割にハイカーには手応えのある山と言われている。福永の西福寺の上に弓場があり、宮原の絶壁上には観音運動がある。
 
(幸田光温) 
 
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