川の漁業史(弐巻)
ッていうかー 元オオシキノリが勝手に思う太田川のことです

原 哲之 2001年 7月 若苗号


 「川の漁業史」なのに、なぜか太平洋のお話です
 
 本誌編集スタッフ「テッツン」こと私は、五年前までオオシキノリでございました。
 オオシキノリ(大敷乗り)とは定置網漁業の水夫のことで、私は三重県志摩半島のブリ(鰤)定置網でオモテシ(士・船の前半分の責任者)をつとめておりました。
 これでも当時は筋骨隆々として(?)、密かに漁労長を目指して頑張っておったのですが、病気で夢破れ、この広島に帰ってきたんです。夢をなくしていまは気が抜けたような生活をしております。
 おっと、そんなのはどうでもええことですね。
網から獲物を水揚げする

 うーん、もう一つやのう(この静かな雰囲気は漁がない証拠)
 
大敷ってなに?

 大敷っていうのは、太田川のみなさまにはイメージが湧きにくいとは思いますが、全長が軽く一キロを超えるおおきな網で、冬から春に産卵場目指して西に向かうブリを一網打尽にする仕掛けです。一網打尽といっても、網の位置は何年もおなじところで、そこに来た魚群(のごく一部)だけを頂く「待ち」の漁業です。乱獲(獲りすぎ)につながりにくい漁法と言われていて、五百年の歴史を持っています。
ヨ〜 イサ〜  ヨ〜 イシ〜 メ〜 声も力だ網を締めよ!

 (右から二人目が筆者 軍手をはいて戦闘態勢へ)
 
 私がいた片田漁場は、ブリ定置の中でも波が荒くて潮の速い漁場でしたが、魚群の回遊が多くて、私も一日で目方七キロのブリ一万本漁獲という大漁を経験しました。あのときは、目の前にぶらさげられたニンジンならぬ、「ぬれ代(ヌレシロ)」によだれを流しながら水揚げしましたが、さすがにその後しばらくブリの顔を見たくなくなるくらいきつい働きでした。
「ぬれ代」というのは、大漁したときにもらえる歩合のことですが、体をびしょびしょにぬらしながらブリを網から引っ張りあげることから、この名がついたといいます。大敷の言葉は、音や体に直接関係のあるところからくるものが多くて、とても面白いんです。
 
たとえば、波にもいろんな種類があって、風で立つ、船のミヨシで飛び散る波を「パーパー」、波長の短いうねりを、船がしゃくれるように揺れるから、「シャゴシャゴ」とか。

大敷言葉のことを話し出したらきりがありません。

 漁は海の神さんのご機嫌任せ

 

 この国には実にいろんな魚の獲り方がありますが、大敷はその中でも特に自然任せの部分の多い方法です。その年に、太平洋のでっかさに比べたら芥子粒みたいに小さな漁場に、ブリの大群が来るかどうかはなんてのは、神のみぞ知ることです。もちろん、長い経験で一番ブリが通りそうなところに網を張ってはありますが、一年の間に一回大きなナブラ(群れ)来ればその年は黒字、一度も来なければ赤字という、なんともバクチ性が高い方法す。おかげで?水夫はみんな、バクチが大好きですが…。なにしろ、網一つ作って敷き込む(設置する)だけで何億というおカネが必要ですから、めったなことでは動かせません。網の場所が変わるということは倒産や漁労長の更迭を意味します。
一度大漁を味わうと、一生忘れられん  
 それに、いまの人間がどんなにすごい技術を持っていても、海の波や風、潮の流れを止めることはできませんから、その日に出漁できるかどうかも自然のご機嫌任せです。まさに「お天き(機)」です。私のいた漁場では、潮が速すぎて何週間も網を持てない(魚を獲れない)ことがざらにありました。その間水夫は、毎日毎日作業小屋で花札に興ずることになります。そんな具合で、この大敷という仕事は、人間にはどうすることもできない、圧倒的な自然の力と常にいっしょにいるというか、それが大前提にある商売です。

 
 名漁労長の知恵

 私の漁場の漁労長は、数ある全国のブリ定置で五本の指に入ると謳われた名船頭でした。手前味噌ではありません、彼が漁労長をつとめた三十数年間、片田漁場は一度も赤字を出しませんでした。これは毎年毎年海の条件が大きく変わるこの世界では、奇跡的なことです。彼の漁に対する考え方に、人間を圧倒する自然の厳しさからどう恵みを頂くか、「知恵」というか「哲学」のようなものを感じました。
 
@ 時化と潮はやりすごせ
潮が来れば吹き流し
 太平洋の荒波や潮の流れのエネルギーは半端じゃありません。春一番のころの時化(シケ)だと、網を支える寸径(直径およそ30ミリ)クラスのワイヤーが切れたり、何十トンから百トンのイカリがヒケル(動く)ことも珍しくありません。朝漁場に行ってみたら網がばらばらだったということもしょっちゅうです。魚を獲れよが獲れまいが私たち水夫には毎月最低補償賃金を支払わなければならないし、毎年の資材費用も何千万とかかりますから、経営者の立場からしたら、毎日少しでも魚を獲りたいわけですが、それを許さない自然のパワーがあります。
 少し専門的になりますが、魚を獲るためには、網が海面まで浮いて、できるだけ立っていなければなりません。そのためには、網の上の部分の浮力を強くして、下の部分の沈降力を強くする(つまり重くする)必要があります。でも、海面に近ければ近いほど風と波の力を受けやすくなり、網が垂直に立っていると潮の力をもろに受けるようになります。網が壊れやすくなるんです。網が壊れる余分な仕事が増えて、何百万、何千万と出費がかさむことになります。魚は毎日獲りたい、でも網を傷めたくない、両方の欲求を満たすのはとても難しいんです。時として、自然のエネルギーは人間の机上の計算をはるかに上回って襲ってきます。
 人間の欲望と自然の力との折り合いをどうつけるか。片田漁場の漁労長は、時化や潮は「やり過ごす」ことにしました。波や潮の力に対して、できるだけ網に負荷がかからないよう、潮が速いときは網が倒れて吹流しのように流れをかわせるように、時化のときは波いっしょに網がしゃくれないように、イカリは充分効かせておいて、網を立たせる上部の浮力と下部の沈降力を抑え気味にしました。その代わり、時化が過ぎたり潮がゆるんだ直後が大漁の最大のチャンスだから(魚がよく動くからだと言います)、網がすぐに魚が獲れる形に戻るよう、絶妙の按配で浮力や沈降力を調整し、フジツボのような付着生物なんかで網の重さや抵抗のかかり方が狂わないよう、日頃の点検・管理を徹底させました。そして時化の直後は、命がけの操業です。私も海にはまったり、◯◯タマが縮む思いを何度もしましたが、確かに時化の後は漁が良かった。水夫もそれは納得していました。
 天候や潮は常に「息をする」。逆らわずに、一瞬のチャンスを待て。―― 漁場の自然を知り尽くした網の設計、神業としか思えないような沖での状況判断を目のあたりにしてきました。
 
A 大漁・不漁は回り物―人事を尽くして天命を待て

 漁模様、海の様子は、年々で独特の「カラー」をみせます。ある魚が湧いた(大発生した)かと思えば、他の魚はさっぱりだったり、潮が速い年、時化の多い年、少ない年、毎年決して同じ顔を見せません。お役所の「漁況海況予報」などあまりてになりません。長い目で見たら、数年に一度は全くの不漁年があり、その反対の大漁年もあります。自然の「回り」で魚が来る年、来ない年が巡ってきます。何十年に一度は台風なんかで防ぎきれない被害にも遭います。でもそれが「自然」です。人間なんぞに逆らうことは出来ません。上げ汐があれば必ず下げ汐がある。でも下げ汐があるからこそ上げ汐がある。
 目先にばかりとらわれるな。自然の「息」をよく見て、チャンスにはできるだけ恩恵に浴せるよう、人事を尽くして天命を待て。――自然の流れに逆らわず、しかしここぞという時には、波も風もものともせずに立ち向かう、漁労長を見ていて「度胸」とか「肚」とはこのことを言うんだな、と思いました。
 
 「相手は自然だから仕方がない」―

 漁労長や先輩水夫たちには、なんかすがすがしい「あきらめ」(これは「明らめ」と書いたほうがいいのかな?)が、遭難や事故といった生き死にに関わるところにまで貫いていたような気がします。どこか突き抜けた明るさがありました。私も技術だけでなく、その「自然観」もなんとか骨身に染み込ませたい、と懸命に努力しましたが、納得いくところまで修業できなかったのが、今でも心残りでなりません。(大敷の世界でも、網業者などの大資本による経営参加や高齢化により、「神業」の伝承がままならない状態にあり、片田漁場もいまや存亡の危機に瀕しているということです。)
 
で、ちょっとだけ太田川に思うことです

 ながながと大敷のことを書いてしまいましたが、広島に帰って太田川のことをいろいろ調べさせてもらっているうちに、私が大敷で体験したことと全く対照的だな、と思うことがよくあります。
 川は水が細いですから、いまの石油文明の機械力をもってすれば、流れをいじるのはそう難しいことではないようです。自然の「息」に耳をすませるというよりは、土木工学の計算に基づいて、人間の際限のない「右肩上り」の欲望を満たすためにねじ伏せる、といった感じがします。今度、嘘か本当かはよく分かりませんが、「二百年に一度の大洪水を防ぐことが出来る」とされるダムが完成しました。太田川での取水量を見ても、この百年でけた違いに増えてます。

 
 そしてすごいな、と思うのが、アユでみると、昭和30年代の発電用ダム・水路建設、40年代後半の高瀬堰建設と、アユがまともに命を引き継いでいける太田川ではなくなっても、むしろ統計上の漁獲量は増えていることです。河川の条件が悪くても、種苗の育成技術などの進歩によって、幼魚を大量に放流できるようになった。外洋の魚では人間がどんなに放流しても屁にもならんところがありますが、川や湖という閉鎖的な空間
だとそれなりの効果があるということなのでしょう。川に対しては「人事」の力はものすごく大きいんだなあ、と感じます。
 でも、ほんの短い間にしても、人間の小賢しい皮算用をはるかに超える自然の力を実感してきた者として、こんな「人事」に下る「天命」はなんだろう、となんとなく不安になります。水もあまりおいしくなくなったし、カキやアユの様子もおかしいようだし、山はよく崩れるし。しばし「息」を出来なくさせられていた自然が大爆発(どんな形の爆発かは見当がつきませんが)、ってことになりはしないか、と思います。


 人間が力を持つということはとても難しいことだと思います。でも、いまの人間の力なんて、しょせん燃料がなくなったら終わりなんですけどね。人間が体一つでできることは、時代が下がるにつれて、むしろどんどん少なくなってきてるんじゃないですか。    
 

引用文献: 
太田川漁業協同組合業務報告書 太田川漁協
広島農林水産統計年報 広島農林統計事務所
「太田川新聞」(仮称)発行準備ニュース 本誌事務局
 
当ホームページ上の情報・画像等を許可なく複製、転用、販売などの二次利用をすることを固く禁じます。