「地域」

「危機的集落」現地レポート
棚田の里「空谷」を訪ねて
2006年11月 第67号


 本誌9月号で安芸太田町の全集落145のうち、集落の自治機能が保てない限界集落(高齢化率50%以上、19戸以下)が60ヶ所、今後消滅が危惧される危機的集落(高齢化率70%、9戸以下)が15ヵ所にのぼることをご紹介しましたが、各集落の実情はどうなっているのか?特に消滅が危惧される集落は?
 3つの危機的集落(香郷、名護木、千本)を含んでいる旧加計町の空谷地区を訪ねて取材しました。
(取材・篠原一郎)
 

棚田で知られた空谷

 広島市から加計に向かう国道191号線、広島市に隣接する澄合から西宗川沿いに4`、修道小学校手前の山道を2キロ登った所が「空谷」5集落(横山、野影、香郷、名護木、千本)の真ん中にある香郷集落です。
今「空谷」の5集落には38戸72人(65歳以上46人、老齢化率64%)が今ここに住んでいます。45年前、1960(昭和35)年には64戸人口324人で、戸数で4割、人口で半分以上減りました。

 空谷といえば棚田で知られた所。昔のたたら製鉄の「かんな流し」の跡地に石垣を築いて棚田が作られたといわれます。

 これまで「棚田ツアー」「杜仲茶の生産地」「広島修道中学の稲作り体験交流」などの話題で、空谷のことは中国新聞などの記事に掲載されたので記憶にある方も多いでしょう。
 
空谷を考える会」〜杜仲茶の生産

 こうした活動の住民組織が「空谷を考える会」。会長の大知一也(73)さんを訪ねました。今は安佐北区の「あさひが丘」に住む大知さんですが、香郷に生まれ育ち、小さな化成品(プラスチック)の加工工場を香郷で経営されているので、毎日「空谷」に通っています。
「約20年前、農業集団拠点整備事業に取り組んで5千万円の補助金で、椎茸の温室栽培と農産物加工場を作ったけど、椎茸は3年目でやめる人が多くダメになり、今温室は倉庫代わりになっとる…。加工場は特産品づくりで続いているが…」。農業だけの地域づくりでは解決できない、暮らし全体を考えようということで平成5年に「空谷を考える会」を設立。会員は空谷の住民全員、会費は無くボランティアで出られる人は出るという任意の組織です。これまでの会の活動を振り返る大知さんの話をまとめると…。

 整備事業の取り組みと同じ頃、山際の棚田の荒れる土地に、健康に良い「杜仲茶」の栽培をやろうと長野県に視察に出かけた。その頃因島の日立造船が造船不況で杜仲茶生産販売を進めていたので、契約栽培を始め各集落30〜50aずつ全部で2haに途中の苗を植え付け「空谷を考える会」の事業として杜仲茶生産組合を作った。契約栽培は数年続いたが日立が販売不振で杜仲茶から手を引き契約を解消、その後、固定の注文に応じたり、広島本通りの「夢プラザ」などで販売したりしてきたが思うようには売れず毎年売れ残るような状態。これまで、杜仲の木の作業を統率していた77歳の女性も心筋梗塞で急に無くなったとのこと。
 
7年続いた修道中学の稲作り

 「広島修道中学の田んぼにチャレンジ米作り体験活動」の受け入れは、加計町津浪在住の1級建築士松村賢治さんの紹介で県のJA中央会が仲介して平成10年から受け入れた。
大知さん所有の7aの水田で毎年5月の田植え、7月の草取り、10月の稲刈りを週休2日の土曜日を利用して1〜2年生を対象にやってきた。参加する生徒も新しい体験を文集にする等、著名な進学校の取り組みとして注目された。

 しかしこの活動も7年間続いた後、去年から取り止め。進学の条件が厳しくなり、土曜休日をやめたからというのがその理由。JA中央会など関係者と去年の春にお別れ会をやった。代わりに去年からは大知さんの住む「あさぎが丘」の老人会「遊友会」の十数人が同じシステムで稲作り交流会を続けている。

 その他の活動としてはJTB旅行会社と組んだ「棚田ツアー」、これも3年間続けた。また平成10年頃町から桜の苗木700本の提供を受けて、5集落に分けて植えた。台風などで倒れたのもあるが将来、桜の名所に、という期待もある。以上が大知さんの語る「空谷を考える会」の主な活動経過です。
 
杜仲茶異変!

 ところが今年の夏、杜仲茶に思わぬ異変が…7月末「夢プラザ」から突如、杜仲茶の大量注文が舞い込んだのです。RCCの全国放送で、因島の杜仲茶が夜の好適時間に取り上げられ直後から「夢プラザ」に注文が急に増えたというのです。空谷の大知さんの所にも県外からの注文が相次ぎ、たちまち在庫の700袋(乾燥した杜仲の葉1袋400g=1000円)が売れ、今年秋の収穫には稲刈りの後、3日間かけて収穫、皆で取り組み、力を入れたが(杜仲茶の作業は時給、男性1000円、女性500円)、これまで手入れが不十分なため、杜仲の葉が小さいので1t(2500袋)は採れると思ったが予定の半分以下1000袋しか採れず。しかし「テレビの威力はたいしたもの…思わぬ注文で元気づけられた」という話です。
 
過疎、老齢化の実状

 このような「空谷を考える会」の活動だけを見ると、これが消滅が危惧される危機的集落の実態か?と意外に思う方も多いでしょう。しかし空谷に住む38戸72人のうち65歳以上が45人、老齢化率63%=一人暮らしが17人、90歳以上が5人、という厳しい現実が進行しています。

 お年寄りの大半は自動車の運転はできない人ばかり、公共の交通手段は朝7時台に1回、町の中央にある加計病院までの運行があるだけ、中央からの帰りのバスは12時と5時に2回のみ、あとは「アナタク」という日に4回決まった時間に運行するタクシーがあり、予約すれば家から、国道191号線の澄合まであ200円で行ける手段があります。病院通いや日々の買い物も容易ではありません。安芸太田町には介護保険の事業所が4つあり、一日の「デイケア・でーサービス」には送迎バスが来るので、介護保険の認定を受けた人はこれを利用した買物なども済ませているということです。

 現在、訪問介護を受けているのは4人。寝たきりや歩行できない人はおらず、介護度1〜2の軽度の人、訪問介護の炊事や掃除を手伝う程度ですが、この地域を担当する社会福祉事務所のヘルパーさんは「これから重度の人も増えるし訪問介護が必要な人も多くなる」と語ります。30haあった耕地も今は10ha程度耕されているだけ。集落の集まり=常会は「香郷」と「名護木」では行われなくなり、葬式は6〜7年前から「香郷」と「野影」、「名護木」と「千本」が一緒になって行うようになりました。空谷の中の他の組織としては、消防団があるだけです。これは40〜50代の役場、郵便局、建設会社、運送会社などの勤めに出る男性12人が団員ですが、これもいつまで続けられるかということ。
 
定年退職の帰郷者、吉藤さん
 
 そんな空谷に定年退職後の帰郷者が現れました。吉藤充さん(63)。三菱重工広島製作所に勤め、セメントの原料、石灰石の発掘プラントを作る仕事で、アフリカ、インドネシア、タイなど海外に単身出張を続けてきた人です。空谷の横山集落で生れて育ち、岡山の船の専門学校を卒業、三菱重工に入社、58歳で定年。現在家族は、広島のマンションに暮らしていますが、数年前から横山集落の一番高いところにある立派な家に一人帰って農業に励んでいます。2人の息子さんはもう独立し、奥さんは広島で仕事を持っているので週に1度は広島に帰るとのこと。

 「昔の人が、手と鍬でこれだけのものを切り開いたのを、僕らの世代でこのまま、埋もれるのも情けないんで、まあ自分で出来るだけのことをやろう思うてやりおるんです」

 取材に伺った時は、道路の下の田んぼにトラクターが出入りできるように道をつけようと測量の最中。これから休耕田を一枚、一枚掘り起こすつもり。ところが、農業委員会から思わぬ抵抗が…。道をつけるのに水田がつぶれて地目変更になるから、専門家の測量による設計書を提出しろという。それには何十万円かお金がかかる。「規則がそうなっているからといえばそれまでだが、自分の土地を自分でやるのに…。割り切れん事で、もう少し自由にならないと…」と語ります。今年は近所の人々に教わりながら、大豆を6a、3600本植えたが割合よく出来、これから収穫するとのこと。大豆は豆腐、味噌など利用の仕方が一番多いのでとにかくやってみようと取り組みました。
 
海外の底辺の人々に学ぶ
 
 「17,18年続けた海外の仕事では、底辺で働く人たちに沢山のことを学びましたよ。エンジニアなんかはみんな共通の知識だが、底辺の人たちには面白い知恵者が沢山います。日本だったらものを上げたり下げたり起重機がなけりゃやらんですが、向こうでは知恵を出してやりますよ」。海外でのそうした経験が、帰郷して農業に取り組む気持ちに生きているのでしょう。「とにかく気持ちが暗いと何をしても投げやりになりますから、少しでも明るくなろうと、帰ってから、道路端や山際のところが草ヤブになっているので、草を刈ってきれいにしようと、2〜3人で、毎年計画的に少しずつやり出したんですが、周りの人たちも自分の所だけでなく草刈りをし始めて、空谷全体が明るくなりましたよ…」

 大知さん達周囲の人々も、吉藤さんの活動には「まあ、よくやってですよ」と評価を惜しまない声援を送っています。

 町の行政についても「とにかく現実には地域しかないのだから、今ある現状を少しでも変えていくことで考えればやることはいくらでもある。それを実行すれば、見えて来るものが必ずある…」という吉藤さんのことばには経験に裏付けされた重みがあります。
 

今、行政が施策を!

 
 以上見てきたように、空谷には将来消滅が危惧される「危機的集落」として香郷、名護木、千本の3集落が挙げられますが、空谷地区全体としてはまだまだこの地で生きる人々の活動が続いています。吉藤さんのような定年後の帰郷者も出て、明るくする雰囲気も生まれています。葬式など「集落のつとめ」を守り、必要であれば町から帰って「つとめを果たす」後継者もまだ10人以上はいるということです。

 島根県中山間地域研究センターでは、人口100人の集落で、5年に1組の子連れU・Iターンがあれば、集落の人口は安定する、という研究結果を発表しています。空谷は人口72人。100人には足りませんが、可能性はまだあります。今、町当局もこうした集落の実情を把握して施策を打つ時期に来ています。

 空谷では5つの集落を一つにまとめる集落再編成がまず必要でしょう。大字単位の修道振興協議会への空谷地区総代はいますが、5つの集落組織は昔のままで香郷と名護木では常会も出来なくなっています。「空谷を考える会」も集落を越える活動を積み上げていますし、地理的に中心となる香郷には集会場もあります。もう一度、地域の現状を少しでも住みよい方向に変えていく。そのためには今、何が出来るのか?持っている地域の力を活かし、お互いに支え合い、助け合う福祉=守りの方向と、農業などの生産に取り組む=攻めの方向、を統一して考えることが大切でしょう。町の行政は地域の人々と話し合い、そうした方向への活動を援助、指導していく役割を果たす必要があります。
 
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